ごあいさつ

2017年01月04日
明けまして おめでとうございます

昨年もあまりあちらこちらに出かけられず、更新もままならない1年でした。
今年も同じような年になりそうですが、諦めずに希望は持って1年をスタートしたいと思います。

よろしくお願いいたします。

名月姫公園

2016年12月12日
尾浜八幡宮よこの公園が、名月姫公園(兵庫県尼崎市尾浜町1丁目4)です。

名月姫公園2  名月姫公園3

名月姫公園1

隣の名月姫の墓にちなんでつけたのでしょうが、名月公園ではなく、名月姫公園。
「今日、名月姫公園で待ち合わせな」とか、「名月姫公園に来いや」とかいうのかな?
いやいやご近所さんは、なにか公園にピッタリな呼び名があるのでしょうね。

きれいな公園です。
この写真を撮っている私の背には、川が流れています。

しかし、今は全国的に公園でのボール遊びは禁止なんでしょうね。
こんなに広いのに…。
午前中は幼稚園から上の子供はそれぞれに登園、登校していていないので小さい子が主に遊んでいると思うのです。
夕方は大きな子たちが遊ぶので、夕方は簡単なボール遊びはOKでもいいと思うのです。
もちろん小さな子供への配慮は必要ですが、〇か×かの二者択一でなくてもいいと思うのですが…。
白黒ハッキリつけるのが最近は好きですよね。
どうしてその混在を認めないのだろうと思います。






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尾浜八幡神社 伝名月姫の墓

2016年12月11日
尾浜八幡神社(兵庫県尼崎市尾浜町1丁目4-27)には、名月姫の墓といわれるものがあります。

尾浜八幡宮

名月姫1  名月姫3

名月姫2


創立沿革は明らかでないが、当地尾浜の歴史とともに古く、天正年間に荒木村重滅亡のときの戦火に罹ったのではないかといわれる。現在の社殿と社務所は昭和47年に新造されたものである。旧時(律令時代)は、神仏混淆で、境内に大日堂が建っていた。現在、名月姫の塔(宝筐印塔)が当地境内にあるのは、その名残である。

尾浜宝筐院塔(伝名月姫の墓)
石質は花崗岩であって、相輪がなくなっていますが、傘の部分の頂上までの高さは、1.1mあります。
基礎石には、伏蓮華をほどこしています。
塔身の凡事は摩滅していますが、四隅の突起は完存しており、総体には装飾的な彫刻はみられません。
創建の時期はつくり方からみて鎌倉末期t考えられています。
名月姫と塔との結びつきは「円福寺大日如来之由来」に、名月姫が久安2年(1146)の8月15日、満月の夜に誕生しましたので名付けられたと記されています。
姫が14歳の時、野勢の藤兵衛実包に奮取されたという物語があり、彼女は今中将姫の化身としています。
この話と塔との年代差はかなり開いてきます。
また「摂津名所図会」に「尾浜村大日堂あり、この寺は名月姫の菩提所なり。また七松に名月姫の父三松国春の古弟あり」とみえますが、詳しい結びつきは不明です。
現地説明板(尼崎市教育委員会)より

名月姫伝説
約856年前の平安末期、今の尾浜町に才知、徳行に秀でた豪族、三松刑部国春が住んでた。
40歳になっても子供に恵まれず、京都・鞍馬山にこもって祈り続けたところ、久安2年8月15日、玉のような女の子が生まれた。
旧暦のこの日は、ちょうど中秋の名月で、国春は名月姫と名付けた。
成長するにつれ、その美しさは光り輝き、14歳の春、大阪能勢の豪族、蔵人家包に略奪されてしまった。
悲嘆にくれた国春は出家、諸国行脚しているうち、平清盛の手の者につかまり、港を築くため人柱にささげられることになった。
ある夜、一人の翁が名月姫の夢まくらに立ち「われは大日如来なり。そなたの父の命が危ない」と告げた。
姫は現地に急ぎ、涙、涙で助命を嘆願すると、清盛の寵臣がそのけなげさにうたれて身代わりとなり、姫は父とともに帰郷、大日如来をまつる寺院を建て平和に暮らしたという。(『立花志稿』による)
現地説明板より


こんな所にあったのかぁ。
ここ数週間、この横の道を通る用事があり、何度か通っていました。
そんなある日、ふと横を見ると、名月姫公園と書かれていて、さらに名月姫伝説の説明がありました。
「えっ」っと思わず止まってしまいました。
その日はカメラを持っていなかったので、次の時にカメラを忘れずに持ってっこなければと思いました。

家に帰って調べてみると、横にある神社内に名月姫の墓があるとのこと、それがこの写真です。
尾浜八幡宮の北東隅にあります。

塔は鎌倉末期時代のものだそうですが、鎌倉末期を1300年代ごろとしても、700年前後はここに建っているという事なんですね。
鎌倉、室町、安土桃山、江戸と考えただけでも、長い年月この地にあった塔なのでしょう。
いったいどんな出来事を目撃してきたのでしょう。

この墓が名月姫の墓である確率はゼロに近そうですが、名月姫は本当に実在したお姫様なのでしょうかね。
名月姫が実在したとして、略奪されて結婚させられたり、人柱にされそうになったりと、波乱万丈な人生で大変そうです。
どんなに美しい姫だったのか…、写真でもあれば見てみたいです。もちろんないけれど(笑)

この神社の近くの和菓子屋には名月姫というお菓子があります。








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丹波竜化石工房「ちーたんの館」

2016年12月07日
日本で発掘された最大級の化石、丹波竜をみに行きました。
丹波竜化石工房ちーたんの館」(兵庫県丹波市山南町谷川1110番地)です。

丹波竜

原寸大の丹波竜の骨格図を壁面に掲げ、クリーニングの済んだ化石レプリカを骨格図に貼付けてあります。
丹波竜の化石がどこまで発掘されクリーニングできているかが一目で分かります。

またクリーニング作業をガラス越しに見ることもできます。

丹波竜
兵庫県丹波市山南町加古川水系篠山川河床の篠山層群において2006年8月7日に初めて発見された、ティタノサウルス形類と推測される恐竜またはその化石。
2014年8月12日、兵庫県立人と自然の博物館は、丹波竜が新属新種と認められたと発表、学名は「タンバティタニス・アミキティアエ」となりました。
発見地の丹波と、ギリシア神話の巨人ティタニス、発見者2人の「友情」を意味するラテン語のアミキティアエを組み合わせたものです。

丹波竜が発見された篠山層群は、中生代白亜紀前期、1億4,000万年前~1億2,000万年前頃に平野部に土砂が堆積することによってできた地層で、当時の日本は大陸の一部であったため恐竜が生息していたことは考えられていました。

第一次発掘調査の研究成果(2007年1月25日~3月末)
これまでに採種され、クリーニングを経て明らかになったもの。
肋骨:1点
尾椎:2点
血道弓:3点
椎骨:3点
(以上はティタノサウルス形類である可能性の高い竜脚類)
獣脚類の歯:3点(分類上の詳細不明)

第二次発掘調査(2008年1月11日~2月末)
獣脚類のカルノサウルス類とみられる歯の化石(長さ4.5cm、幅1.5cm)
肋骨などを大量に発見
環椎(首の骨)1個(高さ約8cm、幅約6cm)が発見されました。環椎は頸椎の最上部にあり、頭部を支える骨です。
Wikipediaより



今回の史跡巡り(?)は、何万年前の史跡かしら?
丹波竜です。
化石の発掘現場はここから、7.7㎞ほど離れた川沿いになります。

ちーたんの館についてビックリ\(◎o◎)/!
壁から恐竜が覗いているではないですか!
写真の側面にあたる入り口上には、しっぽが出ていました。
市が管理する建物とは思えないほどの斬新さでした。

休日でしたが空いていました。
福井の恐竜博物館は超が付くほどの満員でしたが、こちらはゆっくりと見ることができます。
といっても、規模が全然違います。
こちらは丹波竜に特化したような展示なので、仕方がないかもしれませんね。
ただし、日本で発掘された、新種の恐竜化石が見られるという特典があります。

小さな子供連れで、ちょっと恐竜が見られたらOKならこちらの方がゆっくりと見ることができます。

化石に触れることができたり、クリーニングをしているところもみられました。
発掘現場の再現などもあって、実際に私も発掘してみたくなりましたよ。
1億年以上前のものが目の前にあるってすごいですよね。
恐竜っていったいどうやって生活していたのか…。
何か意思疎通の手段があったのかな?とか、肌の色は?とか、いろいろ想像できますね。
私は恐竜に詳しくないので、とんでもないことを書いているのかもしれません。












富松城跡

2016年11月13日
富松城跡(兵庫県尼崎市富松町2丁目13)に1度行ってみたかったのです。

富松城1  富松城4

富松城3


富松城は、伊丹城、大物城、越水城の中間地点にあり、境界防衛や連絡の城として攻防の要となり、たびたび戦火に見舞われています。
長期にわたってここを本拠地とした城主はなく、戦乱のたびに入れ代わった戦歴があります。

富松城の規模は、それまで東西80m、南北100mの小規模な城と思われていましたが、平成6年(1994年)の発掘調査で東西に150m、南北200mの館城で、周囲に土塁、二重の水堀がめぐらされている中規模の城であったことが推定されます。
また、昭和38年(1963年)の道路工事に伴う発掘調査からは、矢倉台の土台らしき遺構が発見されました。

長享元年(1487年)11月の「年貢算用状」に富松城の初見が見受けられます。
平安時代にはこの地は富松荘と呼ばれた荘園でした。
この時代から薬師寺氏が管理しており、築城も薬師寺氏の可能性が高いと思われます。

最初の戦火は永正16年(1519年)の越水城の合戦で、細川高国軍は瓦林正頼を援護するために富松城に陣をひきましたが、その後正頼が越水城を開城したため、細川澄元方の武将が入城しました。
次の戦いは享禄3年(1530年)で、大永7年(1527年)の桂川原の戦いで敗れた高国は、浦上村宗の力を借りて摂津に侵攻。
この際に細川晴元派として富松城を防衛していたのは薬師寺国勢でした。
享禄3年9月21日、高国軍は神呪寺城から朝駆けで攻撃したが、晴元派の救援があり一旦兵を引いた。
しかし同年10月19日、再び攻め込み薬師寺軍を伊丹城に敗走させ、富松城を高国軍の本陣としました。
薬師寺氏は代々高国派であったが、例外的に薬師寺国勢は高国に敵対していました。
しかしこの敗走により再び高国派に寝返ります。
この後大物崩れで高国が自害し、薬師寺氏も勢力を失うことになります。

主が居なくなった富松城が次に歴史に姿を現すのが、天文10年(1541年)であす。
一庫城の戦いで2ヶ月間包囲していた三好長慶軍は、木沢長政軍が大軍で攻めてきたためいったん越水城に兵を引いたが、逆に木沢軍は越水城を包囲し、後詰の軍を富松城に配置しました。
木沢軍は越水城へ攻撃を開始、西宮に放火して回った。
これに対し三好軍は阿波に援軍を求め、同年10月2日に反撃を開始、包囲軍を撃退し富松城も落城させました。

その後富松城は三好長慶派に占拠されていました。
三好政長と長慶との争いの中で、政長軍は越水城と中嶋城の長慶軍を分断を目的として天文18年(1549年)5月1日に富松城を攻撃するものの、落城させることはできずに退却。
その後江口の戦いで政長は戦死、長慶方が勝利。
長慶は最後まで抵抗していた伊丹城を落とすため、天文19年(1549年)1月11日に富松城に入城したが、結局同年3月28日に和議が成立しました。

富松城が廃城となった時期は明確ではありません。
三好長慶時代には越水城の支城になり、織田信長の摂津進攻により越水城を放棄するまでは三好方の武将が詰めていたと思われます。
『細川家記』によると、「牧丞大夫・新五父子、先祖は橘姓、薬師寺次郎左衛門公義末流、摂津国河辺郡富松の城主・富松与一郎元亮の男で、同郡牧村(現伊丹市荒牧ヵ)に住して牧を名乗り、青竜寺より仕える」とあり、信長の摂津進攻より降りて、城主の子が長岡藤孝(細川幽斎)に仕えたようです。
城は『立花志橋』によると天正年間(1573年 - 1592年)までは存続したと思われるが、その後の経過については不明です。
Wikipediaより



富松城跡があることは知っていましたが、遠いだろうなと思っていました。
最近、城跡横を車で通る事があり、以外と近いことを発見しました。
ならば行ってみなければ!
ちょうどこの横を通ってもいける場所に用事があったので、その時行くと決めていました。

柵の横に堀跡らしき窪みがあります。
横に回るともっと広くて、中に入れると思っていましたが、道路側から見ると奥行きは数mしかなく、柵で囲われていました。
その柵の中には階段も見えるのですが、入れない…。
ちょっと肩透かしをくらった感じがしましたが、この住宅街の中では堀の一部が残っているだけでも奇跡かもしれませんね。

戦国時代に多くかかわりがあっただろう富松城。
有名な戦国武将も富松城の存在は知っていたのかもしれませんよね。
もしかしたら近くまで来たかもしれないし、訪れた事があるかもしれません。
織田信長関係で訪れた塚口城跡もここから近く、歩いて30分ほど、車だと10分かかりません。
昔の人にとって、徒歩30分なんてすぐそこ感覚なのではないでしょうか。
今でも、学校まで30分とかありますものね。

少し前まで、富松城跡は私有地だったそうですが、今は市有地になったとかで、保存される方向に決まったとか、決まりそうだとか…。
今まで奇跡的に残ってきた史跡なので、できればこのまま残してほしいです。
人間の手によっては壊されないでほしいです。








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