御園古墳

2009年12月17日
御園古墳(尼崎市塚口本町8-1-24)といいます。
御園古墳2

御園古墳3  御園古墳1
この石棺は、昭和8年御園墓地の墓地整理が行われた際に発見されました。
場所は墓地(御園古墳墳丘)の西部と伝えられています。

平らに加工された厚さ20cmほどの切石を組み合わせた「組み合わせ式石棺」で、4枚の切石をつないだ底石の上に溝を彫りこみ、長辺の側石を立てた後にその外側に短辺を組み合わせ、2枚の蓋石をかぶせた家形石棺です。
蓋石には両辺に縄懸け突起を造りだし、内側には刳り込みが施されています。
発見当時は2枚とも残っていましたが、現在は1枚のみで、他の1枚は破砕され断片として石棺内に残されています。

大きさは、長さ2.15m、幅1.20m、高さ1.10mあり、石棺の形式やそれまでに発見されている遺物などから6世紀中頃のものと考えられています。
この石棺が埋納されていた御園古墳は、後世の墓地造成により外形を著しく損なわれていますが、東西に主軸をもつ全長約60m、高さ約3mの古墳時代中期の前方後円墳と推定されています。

須恵器などの土器以外に、鏡・玉・剣などの出土が伝えられていますが、2口の直刀(うち1口は環頭太刀)以外は所在は不明です。
この石棺の石材は、神戸層群中の白色系の泥質堆積岩で、小さな黒粒を含んだ細粒の砂岩質のものです。
石棺の石材としての使用は数も少なく、兵庫県東部に限られていると見られています。
発見後位置を移し、長期間露天にさらされていたため損壊が著しくなったため、昭和56年に樹脂加工による保存処理を施し、出土した位置に近いところに戻しました。
尼崎市教育委員会

前述した“岡院の石棺”や“三平井記念碑”の近く、西へ約200mの所にあります。
阪急電車の線路、北側には三菱電機の工場が広がっています。(南側は森永製菓の工場です。)
その三菱電機の工場に錐で穴をあけたように入り込んで御園古墳があります。

工場の塀の一部が途切れています。
そこを入っていくと墓地があります。
その墓地の一番奥に石棺が置かれています。
この墓地全体が古墳だったそうです。

今は屋根付きの覆屋に守られていますが、前は露天に晒されていたとか…。
そのため、朽ち果てそうになったのですね。
本当に昔は、こういう遺物についての扱いは適当だったのですね。
世紀の大発見ならまだしも、よくあるような遺跡については適当だったのがよくわかります。
まあ、世紀の大発見でも、高松塚古墳などのように、カビが生えて、色あせて、とうとう消えて無くなったなんて事もあります。
御園古墳が野ざらしだったのは、ごく普通の事だったのでしょうね。

当時、古墳に絵を描いた人も、石棺を造った人も、石棺に葬られた人も、何千年も後にこうやって話題になるなんて思ってもいなかったでしょうね。



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