三平井記念塔 - 三平伝説

2009年12月13日
三平伝説の後に建つ三平井記念塔(兵庫県尼崎市御園2丁目4)です。
三平

天正3年5月頃のことと伝わります。
摂津兵や一帯は酷い水飢饉でした。
田植えの時期にも一滴の雨も降らず、田植えができませんでした。
田植えができた稲も枯れてきています。
特に水の便の悪かった尼崎塚口付近の村や、御園・岡院の水不足は深刻でした。

農民たちは雨乞いも行いました。
また代表を領主荒木村重の元に行き、猪名川から水を引きたいと何度も願いました。
しかし許可されませんでした。
農民たちの苦しむ姿をみて、水と自分の命を取りかえる覚悟を決めたのが、この付近の庄屋の息子三平(村名不明)でした。

猪名川の堤防を破り、農民が苦労して作った水路に水を引く以外に方法がありませんでした。
三平は、村の有志に四斗樽をたくさん買い集めさせ、樽の底を抜いて継ぎ合わせると長い管ができるように準備しました。
夜に入って、白装束に身を固めた三平は、猪名川の堤防(尼崎・伊丹の堺、桑津橋の下流)を破り、用意していた四斗樽の管に水を引き入れました。
農民が待ち望んだ猪名川の水が樽の管から水路へと走り、ひび割れた田へ流れ入りました。
「水だ、水だ」と喜び叫ぶ農民の声を遠くで聞きながら、三平は水路のほとりで自害したということです。

昭和に入って、御園地区内の三平井のほとりに、三平の記念塔が建てられ、毎年5月17日には三平井組が主催の、三平供養の法要が塔の前で行われています。
尼崎市中学校社会科教育研究会冊子より


“岡院の石棺”の隣に並んで建っています。
歴史を感じる古さですが、昭和に入ってからのもののようです。

この記念塔の前、数十cmの所に用水路があります。
今はコンクリートの用水路ですが、もしかしたらここに農民が苦心して掘った用水路があったのでしょうか?



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踵がパックリわれてしまいました。
そしてさらに“汁”がにじみ出てき始めて、激痛で歩くのも嫌なほどでした。
薬局で勧められて、これを朝・晩、約1週間塗ってみたところパックリ割れも治って、ずいぶんとしっとりした踵になってきました。
これでまた史跡めぐりに歩けます。

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