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唯一の取り潰し 請西藩-新聞記事

2009年09月29日
2009年9月29日の朝日新聞(関西・夕刊)記事です。
今回の“お殿様はいま”は、千葉県木更津市にあった、請西藩のお殿様でした。

お殿様は今6469

“請西藩” 申し訳ありません。
知りませんでした。
請西を“じょうざい”と読むのもしりませんでした。

今日のこの記事の何に興味を持ったかといいますと、中村彰彦氏の名前でした。
中村氏の幕末関係の本は何冊か読んでいました。

そして『遊撃隊始末』は買ったまま、本棚に並べたままでした。
すみません。
この請西藩のお殿様が主人公だったのですね。
読まなくては…。

この記事を読んで、多くの藩のお殿様は慕われていたんだなと感じました。
慕われるようなお殿様だから、今になっても取り上げられるのかもしれませんね。
小さな藩であるほど、庶民とも近く、慕われているように感じます。
もちろん大藩でも、すごく慕われている藩主もいれば、小藩でも嫌われていた藩主はいたでしょうね。


遊撃隊始末 (文春文庫)遊撃隊始末 (文春文庫)
(1997/12)
中村 彰彦

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Comment
No title
こんにちは。今年の一月に遊撃隊のネタにバスツアーを開催しました。
脱藩大名そして昭和最後の大名・林忠崇、京都生まれの幕臣・人見勝太郎(寧)、隻腕の美剣士・伊庭八郎らの遊撃隊は、箱根湯本等の戦いを経て、いわき湯本(戦前に湯治)へやってまいりました。滞在2週間・戦闘2週間の計一ヶ月程でしたが、平潟・勿来で官軍軍艦・富士山(新撰組残党を大阪から江戸へ運んだ船)の砲撃を受けてピンチになったり、いわき防衛の要、新田峠で官軍に3方向から挟み撃ちと負け戦の連続ではありましたが、一文字大名の意地は見せたと思います。
怪我でいわきには来なかった伊庭八郎の最後を函館で看取ったのが、磐城平藩脱藩の田村銀之助だったりで遊撃隊には親近感を感じています。
林忠崇が亡くなる数年前に記者に問われて詠んだ俳句「箏となり下駄となるのも桐の運」が波乱万丈の生涯を表しているようでいい感じです。
スポッツ
Re: No title
こんにちは。
いつもコメントをいただけて大変喜んでいます。ありがとうございます。
コメントを拝読しながら、“そうそう、そうですよね~”なんて、共感しながらも、私もまだまだ勉強不足と気付かされてばかりです。
今回も大変勉強になりました。遊撃隊も本を買ったのですが“積読”状態です。読まなければ…。
「箏となり下駄となるのも桐の運」
この句、なんだかいいですね。
また、コメントをいただけると嬉です。

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