多賀大社

2009年08月27日
多賀大社(滋賀県犬上郡多賀町多賀604)です。
多賀大社3  多賀大社1
伊邪那岐命・伊邪那美命の2柱を祀り、古くから「お多賀さん」として親しまれてきました。

「お多賀杓子(お-たが-じゃくし)」と称し、お守りとして杓子を授ける慣わしがあります。
これは「お玉杓子」や「おたまじゃくし」の名の由来とされています。

和銅5年、編纂の『古事記』に「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐すなり」とあるのが、多賀神社のことです。
なお、『日本書紀』には、淡路島に「幽宮」を構えたとされています。

『古事記』以前の時代については、一帯を支配していた豪族・犬上君の祖神を祀っていたのではないかとの説があります。
犬上君(犬上氏)は、多賀社が属す多賀町を含む地域名「犬上郡」の名祖でもあり、第五回遣隋使・第一回遣唐大使で知られる犬上御田鍬を輩出している古来の豪族です。

藤原忠平らによって延長5年に編まれた『延喜式神名帳』では、当社は「近江国犬上郡 多何神社二座」と記載され、小社に列しています。
「二座」とあることから、この時代にはすでに伊邪那岐命・伊邪那美命2柱が祀られていました。

なお、境内社である日向神社は延喜式内社であり、瓊瓊杵尊を、同じ摂社の山田神社は猿田彦大神を祀ります。
多賀胡宮とも呼ばれ多賀社の別宮として信仰を集める胡宮神社は、伊邪那岐命・伊邪那美命・事勝国勝長狭の3柱を祀り、多賀社の南方2㎞にある小高い丘(神体山)に鎮座します。

「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」
「お伊勢七度熊野へ三度 お多賀さまへは月参り」
との俗謡もありました。

天正16年には、日頃から多賀社への信仰篤かった豊臣秀吉が「3年、それがだめなら2年、せめて30日でも」と母の延命を祈願し、それが成就したとして社殿改修を行うとともに大名に与えるに等しい1万石を寄進しました。
この秀吉との深い縁ゆえであろう、境内に正面にある石造りの太鼓橋は“太閤橋”の雅名でも呼ばれます。


<お多賀杓子>
元正天皇の養老年中、帝が得られた病の平癒を祈念して多賀社の神官らが強飯を炊き、シデの木で作った杓子を添えて献上したところ、帝が全快せられたということから、霊験あらたかな無病長寿の縁起物として信仰を集めるようになったと伝えられるものです。
元正天皇のころはまだ精米技術が未発達で、米の飯はアルファ化して粘り気を持つ今様の物とは違い、硬くパラパラとこぼれるような物であったらしく、それをすくい取るためにお多賀杓子はお玉の部分が大きく窪んでいました。
また、柄の部分は湾曲していたといいます。
現代のお多賀杓子はお玉の形をしていない物が多く、今様のアルファ化米に合わせて平板な物が大半となっているが、以前はそうではありませんでした。

帝の杓子の素となった木の枝は、これを地に差したところ根が生じ、やがて大木に育ったといい、多賀社より数㎞西にある「飯盛木」がそれであると伝えられます。
この飯盛木には、男飯盛木と女飯盛木の2本があります。


<多賀の糸切餅 >
門前町による名物の一つで、元寇の戦勝に謝し奉納した事に由来と伝わります。
あんこを中に包んで長く伸ばした餅の表面に赤青3本の線で蒙古の旗印を模し、弓の弦に見立てた糸でこれを切ります。
刃を用いず悪霊を断ち切り、安寧と長寿を祈念するもの。
Wikipediaより


JR東海道本線南彦根駅からだと、南東へまっすぐ約5㎞行きます。
近江鉄道多賀線多賀大社前駅からだと、目の前です。
JR東海道線彦根駅で、近江鉄道に乗り換えて多賀大社前まで行く方が楽かもしれません。

境内が広く、歴史を感じる社殿でした。
参拝に来られている人が少なくて、境内は静かでした。
平日だったかな?
結婚式の花嫁さんを見かけたので、休日だったような気もするのですが。

心を落ち着けるのには、とても清浄でいい場所だと思います。

鳥居の前のお店で、糸切餅の他に、赤いコンニャクを見ました。
近江名物だそうです。
どんな味でしょうか?
買わなかったので、味がわかりません。
味は普通のコンニャクと同じでしょうか?
今度見かけたら買って見たいと思います。



【近江特産】赤こんにゃく








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