平等院

2009年08月24日
10円硬貨でおなじみの平等院(京都府宇治市宇治蓮華116)です。
平等院2
鳳凰堂
天喜元年の建立。
浄土式庭園の阿字池の中島に東向きに建ちます。
本尊阿弥陀如来像を安置する中堂、左右の翼廊、中堂背後の尾廊の計4棟が「平等院鳳凰堂」として国宝指定。

中堂の屋根上には1対の鳳凰(想像上の鳥)像が据えられていますが、現在屋根上にあるのは複製で、実物(国宝)は取り外して別途保管されています。
本尊阿弥陀如来像(国宝)は仏師定朝の確証ある唯一の遺作。
本尊を安置する須弥壇は螺鈿や飾金具で装飾され、周囲の扉や壁は極彩色の絵画で飾られ、天井や柱にも彩色文様が施されていました。
長押上の壁には楽器を奏で、舞いを舞う姿の供養菩薩像の浮き彫り(現存52体)があり、本尊の頭上には精巧な透かし彫りの天蓋を吊ります。
現在、壁画は剥落が激しく、柱や天井の装飾は色あせ、須弥壇の螺鈿は脱落しているが、創建当時の堂内は、当時の貴族が思い描いた極楽のイメージを再現した、華麗なものであったと思われます。
なお、“鳳凰堂”の呼称は江戸時代からで、当初は“阿弥陀堂”あるいは単に「御堂」と呼ばれていなました。
日本の10円硬貨には平等院鳳凰堂が、一万円紙幣には鳳凰堂の屋根上に飾られている鳳凰がデザインされています。

宗派は17世紀以来天台宗と浄土宗を兼ね、現在は特定の宗派に属さない単立の仏教寺院となっています。
本尊は阿弥陀如来、開基は藤原頼通、開山は明尊。

平等院の地は、9世紀末頃、光源氏のモデルとも言われた左大臣・嵯峨源氏の源融が営んだ別荘だったものが宇多天皇に渡り、天皇の孫である源重信を経て長徳4年、摂政藤原道長の別荘「宇治殿」となったものです。
道長は万寿4年に没し、その子の関白藤原頼通は永承7年に宇治殿を寺院に改めました。
これが平等院の始まりです。
開山(初代執印)は小野道風の孫にあたり、園城寺長吏を務めた明尊。
創建時の本堂は、鳳凰堂の北方、宇治川の岸辺近くにあり、大日如来を本尊としていたが、翌天喜元年には、西方極楽浄土をこの世に出現させたような阿弥陀堂(現・鳳凰堂)が建立されました。

現在の平等院は、天台宗系の最勝院(ともに鳳凰堂の西側にある)浄土宗の浄土院という2つの寺院が共同で管理しています。
浄土院は明応年間、最勝院は承応3年の創始であり、平等院が浄土・天台両宗の共同管理となったのは、天和元年、寺社奉行の裁定によるものです。
Wikipediaより


JR奈良線宇治駅から宇治橋(宇治川)の方向へ歩きます。
橋を渡らずに川と並行に約350m歩きます。
京阪電鉄宇治線京阪宇治駅からは、駅前の宇治橋を渡ります。
橋を渡って川沿いに約350mです。

平等院鳳凰堂ですね。
福沢さんにはなかなか会えないですが、平等院鳳凰堂は毎日でも見ることができます。
それだけ身近なものです、10円玉は…。

平等院には藤の花を見に行きました。
藤の花は確かに綺麗でした。
写真も撮りました。
しかし鳳凰堂を初めてみたインパクトの方が強く残っています。
“10円玉と一緒だ!”とえらく感心したのです。

今、屋根の上にいる鳳凰が複製というのは淋しいですね。
大事な国宝を風雨に晒せないのはわかりますが、やっぱり本物が乗ってこその鳳凰堂ではないでしょうか?
と、いっても歴史あるものが痛んでいくのも嫌だし…。
人間って勝手ですね。
複製といっても、長い年月その役割を果たしてきたのだから、2代目と思いましょう。
代理で乗っている鳳凰にも悪いですね。

この辺りは、幕末平和に過ぎていたのでしょうか?
新選組が来たという話も知らないですし、その他の藩士の話も特に聞いていません。
京都の中心(御所や二条城付近)からは、少し離れていますし、鳥羽・伏見からも少し距離があるので、戦場になる事はなかったのでしょう。

極楽浄土を現したという平等院鳳凰堂は、幕末、人を殺すという事が普通になっていた人達にとっては、無縁と思える場所だったのかもしれません。
極楽浄土にいけるとは思っていなかったでしょう。
でも、そういう時代に生まれてしまっただけなのに…。
皆さん、あの世で幸せにしているでしょうか?



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平等院
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