工藤祐経墓

2009年07月31日
工藤祐経墓(静岡県富士宮市上井出361)があります。
工藤祐経の墓2  工藤祐経の墓1
工藤祐経の陣所が置かれた所だといわれ、祐経の墓があります。

工藤祐経は、父の祐継が死に所領を継ぐと、叔父の伊東祐親が後見人となり、祐経は祐親の娘・万劫御前を妻としました。
祐経は上洛して平重盛に仕えるようになりました。
歌舞音曲に通じており、「工藤一臈」と呼ばれました。
しかし、祐経が在京している間に祐親は祐経の所領を横領してしまい、妻の万劫御前まで奪って土肥遠平に嫁がせてしまいます。

祐親を深く怨んだ祐経は、安元2年10月、郎党に祐親の狩の帰りを狙い打たせました。
刺客の放った矢は祐親の嫡男・河津祐泰に当たり、祐泰は死にました。
祐泰の妻の満江御前とその子、一萬丸(曾我祐成)と箱王(曾我時致)が残されます。

源頼朝が挙兵したのち、元暦元年4月以前より家臣として活動しています。

元暦元年、一ノ谷の戦いで捕虜となり、鎌倉へ護送された平重衡を慰める宴席で鼓を打ち、今様を歌っています。
祐経は平家の家人であった事から、重衡に同情を寄せていたといいます。
同年、源範頼の軍に加わり、山陽道を遠征し豊後国へ渡ります。
文治2年4月、静御前が鶴岡八幡宮社前で白拍子の舞を行ったときに、鼓を打ちました。
文治5年、奥州合戦に従軍。
歌舞音曲に通じ教養のある祐経は、頼朝に重用されました。

建久4年5月、頼朝は、富士の裾野で盛大な巻狩りを開き、祐経も参加。
巻狩りの最後の日の5月28日深夜、曾我祐成と時致の兄弟が祐経の寝所に押し入り、祐経は父の仇として兄弟に討たれたのです。(曾我兄弟の仇討ち)
Wikipediaより


曽我の隠れ岩からさらに、東方へ歩きます。
150mほどです。
赤い祠の中に墓石があります。

祠があったのですが、その中に墓石がありました。
雨が降ったり止んだりの天気で、曇っていたので辺りは薄暗く、少し怖い雰囲気でした。
多分に、工藤祐経や曾我兄弟、それに関する仇討の話を知らないので、もしかして恐ろしい話の舞台で、工藤祐経に“祟り”などの話があったらどうしよう等と色々と想像してしまいました。

今、こうして改めて大まかな話を知ると、工藤祐経は仇討されるような人物か?と疑問に思います。
叔父の伊東祐親が悪巧みを画策していて、工藤祐経は被害者ではないですか。
伊東祐親が狙われるのは当たり前ですよね?
(仇討=人殺しがダメなのは判っていますが、当時、仇討は悪ではなかったという前提です。)
それが息子に当ってしまったのは、不幸でした。

曾我物語の内容をよく知らないのでトンチンカンな事をいっていたらすみませんが、
曾我物語というぐらいですから、曾我兄弟が“善”で工藤祐経が“悪”ですよね?
なんだかそれは違うような…。

でもそれは、幕末の歴史を官軍側からみるか、幕府軍側からみるかで、善と悪が入れ替わるのと同じことなのかもしれませんよね。



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Comment
No title
ご先祖様がずっと悪者扱いされているのが悲しいです。
仇討ちは有名な赤穂浪士もそうですが
必ずしも善悪はっきり分かれるものではありません。
記事を読んで少し救われた思いがします。
ありがとうございました。
Re: No title
不愉快に思われなかった事に安堵しました。
歴史を知るときには、両方からみるのが一番公平なのでしょうね。
これからも気をつけて、歴史を見ていきたいと思います。

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