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葛井寺(ふじいでら)

2009年07月18日
藤井寺市にある、葛井寺(大阪府藤井寺市藤井寺1丁目16番21号)です。
葛井寺
葛井寺は、紫雲山三宝院剛琳寺と号し、剛琳寺ともいいます。
古代氏族葛井氏の氏寺として、7世紀後半の白鳳時代に建立されました。
古絵図などから、東西に塔をもつ薬師寺式の伽藍配置をとっていたことが知られます。

飛鳥時代から奈良時代にかけては、全国各地で有力な氏族が、仏教興隆を奉じて競って氏寺を造りました。葛井寺もその一つです。
葛井氏は、6世紀に活躍した渡来系の王辰爾の甥の胆津を祖とし、『日本書紀』によれば、吉備の白猪屯倉の田部の丁を定めた功績で白猪氏の姓を賜りました。
その後、葛井と改め、一族の葛井連広成が葛井寺を創建したと伝わります。

また、藤井寺という地名は、のちに大和在住の藤井安基という人が葛井寺の荒廃を嘆き、その復興に尽力したことから生まれたといいます。

室町時代は、奈良・興福寺の末寺として栄えましたが、明応2年、畠山家の内紛に端を発した兵火にあって、楼門、中門、三重塔、鎮守、奥院を焼失し、本堂と宝塔を残すのみとなりました。残った建物ものちに地震で倒壊しました。
南北朝時代には楠木正成が陣をしいたことがあるなど、たびたび兵火にさらされています。

近世は豊臣家・徳川家の庇護を受け、とくに豊臣秀頼が寄進した四脚門は、桃山様式をよく伝える建造物として、国指定の重要文化財となっています。
この門はもと南大門として建てられましたが、現在の西門の位置に移建されました。
藤井寺市HP&Wikipediaより


近畿日本鉄道南大阪線藤井寺駅下車。
駅の南側に出ます。
線路沿いに東へ50mほど行き、南へ曲がります。
約80mで葛井寺の山門に到着します。

葛井寺を“ふじいでら”と読むとは、なかなか思いません。
今、地名は“藤井寺”ですから、“ふじいでら”というお寺があっても、“藤井寺”を連想します。
葛井という漫画家さんがおられるので、葛井を“ふじい”と読むという事は知ってはいたのです。
でも、“ふじいでら”の“ふじい”が、“葛井”だというは、知らなかったのです。

なんだか書いていて、ややこしくなってきました。

藤井寺は近鉄バッファローズ時代の、ホームグラウンド藤井寺球場があった場所です。
そしてこの藤井寺市や羽曳野市付近は、地図をみてもあちらこちらに古墳があるのがわかります。
古墳巡りも楽しそうなのですが、それはまだ実現していません。

さて葛井寺ですが、大きなお寺でした。
この日はハイキングイベントがあって、お寺も人が溢れていましたが、普段はどうなのでしょうか。
もう少し、静かなようです。
お寺の創建は古いようですが、戦火にあったり、地震にあったりと、なかなか古いものを見つけるのは大変そうです。
といっても、豊臣時代の物も十分に古くて、歴史を感じることが出来ます。
ただ白鳳時代と比べてしまうと、豊臣時代も新しくなってしまうのですよね。
そうすると、幕末・明治維新の頃は、超が付くほど新しい時代になってしまいますね。

毎月18日には、本尊の国宝・乾漆千手観音坐像が公開されているようですが、残念ながら18日でなかったので、直接お参りする事は出来ませんでした。
もし都合がつくのであれば、18日にお参りされてはいかがでしょう。


藤井寺市
羽曳野市


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