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近松門左衛門墓

2009年07月16日
広済寺(兵庫県尼崎市久々知1丁目3-27)は、『曽根崎心中』などの著書で有名な、近松門左衛門の墓所です。
近松門左衛門5  近松門左衛門6

近松門左衛門4  近松門左衛門1

近松門左衛門3
近松門左衛門墓(国指定史跡)
表には近松と妻の法名(戒名)が並んで刻まれています。

近松門左衛門は、元禄期に活躍した歌舞伎・浄瑠璃の作者です。
本名は杉森信盛。

松平昌親に仕える越前藩士・杉森信義と医者の家系である岡本為竹法眼の娘・喜里の間に生まれました。
出生地については越前説と長門国萩(もともと杉森氏は毛利氏家臣の系統)が有力な説となっていますが、肥前国唐津、淀藩説など他にも諸説あります。
幼名は次郎吉。諱は信盛。
弟の伊恒は後に医者となり、岡本一抱(為竹)と名乗っています。
摂津国尼崎(現:兵庫県尼崎市)の広済寺に近松の自筆と伝えられる養生訓が伝わっています。

父・信義が浪人し、近松は共に京都へと移り住みました。
ここから先は、しばらく伝記が途絶えます。
延宝、天和頃より浄瑠璃の宇治加賀掾や歌舞伎の坂田藤十郎等のための作品を書きました。
しかしこの当時の、作品に作者の名を出さない慣習から、近松作品は特定されていません。
天和3年、曾我兄弟の仇討ちの後日談を描いた『世継曾我』が宇治座で上演され、翌年竹本義太夫が竹本座を作ってこれを演じると大好評を受け、門左衛門の浄瑠璃作者としての地位が確立されるに至りました。

その後も義太夫と組んで名作を次々に発表し、貞享3年、竹本座上演の『佐々木大鑑』で初めて作者名として近松門左衛門と記載。
元禄16年 、『曽根崎心中』を発表。
宝永2年 に竹本座の座元が竹田出雲に替わっての顔見世興行『用明天王職人鑑』からは座付作者となり、住居も大坂に移って浄瑠璃の新作に専念しました。

正徳4年には尼崎の広済寺再興の折りに、本願人として尽力。
正徳5年の時代物『国性爺合戦』は、10月から竹本座にて17ヶ月の連続公演となる人気を博す。

享保元年に母の喜里が死去。
近松門左衛門の家族は妻と3人の息子がおり、次男と三男は浄瑠璃関係の仕事に就いています。

享保8年に、幕府は心中物の上演の一切を禁止しています。
心中物は大変庶民の共感を呼び、人気を博したが、こうした作品の真似をして心中をする者が続出するようになったためです。
その翌年の享保9年11月、門左衛門は72歳で没。
辞世の歌 「残れとは 思ふも愚か 埋み火の 消ぬ間徒なる 朽木書きして」

主な作品
貞享2年  『出世景清』
元禄16年  『曾根崎心中』
宝永4年 『堀川波鼓』
正徳元年  『冥途の飛脚』
正徳5年 『国性爺合戦』
享保4年  『平家女護島』
享保5年 『心中天網島』
享保6年 『女殺油地獄』

Wikipediaより


広済寺へは、JR尼崎駅から“阪急園田”行きか、“阪急塚口”行き。
もしくは、阪急塚口駅から“阪神杭瀬”行き。
または、阪急園田駅から“阪神尼崎”行きに乗り、「近松公園前」で降りてください。
バス停の西方向、5分ほど歩いた所にあります。

散策しながらという方は、JR福知山線塚口駅を東側(上坂部方面)へ降りて、派出所の前を通りすぎ、バスロータリーを左に見ながら、郵便ポストの横の商店街に入って行って下さい。
商店街(といっても、しばらくはお店はほとんどありません)を東へ真っ直ぐ約550m歩くと、左手に1階にコープのあるマンションがあります。
その先にある若王寺南交差点の一つ手前を南(右)に曲がり、さらにまっすぐ180mほど行くと、目の前に近松公園が現れます。
近松公園の中を通り抜けると、公園の南西角付近に広済寺があります。
入口は南側にあります。

広済寺本堂の裏には、「近松部屋」と呼ばれる近松の仕事部屋が明治末まであり、ここで執筆活動をしていたと伝えられています。

お墓は、門を入り右手裏方向にあります。
小さなお墓です。
これだけ有名な人物のお墓にしては、すごく小さくて驚きました。
しかし考えてみれば、近松門左衛門は武将ではなく作家ですから、大きな墓石は不釣合いとなるのでしょうね。
阪神大震災でいくらかの損傷はあったようですが、今は修復されているようです。

人形浄瑠璃は学校から1度観にいきましたが、それ以外では観たことがありません。
なかなか行こう!と思わないものですよね。
行くと面白いのかもしれませんが…。
歌舞伎も同じ事がいえそうですが、最近は歌舞伎ブームですか?

史跡といわれるようなものは、興味が薄ければ気にしないものですね(笑)
近松門左衛門墓の横はしょっちゅう通るのですが、気にした事はまずないです。
これが幕末、新選組だったら気にしていたでしょうね。
もしくは、戦国武将とかだと気にしていたと思うのです。
それでもここ数年は、旗を持って団体で歩いている方々をよく見かけるようになりました。
そんな時は、近松門左衛門を見にこられたのかな?と、気にはなります。
大阪市にもお墓があるようですが、広済寺と近松門左衛門は関係がありましたし、使っていた机なども残っているので、お墓があってもおかしくないですね。

尼崎市内には近松モニュメントとして、いくつかのモニュメントがあります。
阪急塚口駅南側改札口の西側
近松門左衛門が愛用したと伝えられる硯石と代表作「曽根崎心中」の主人公お初・徳兵衛のレリーフに床本をモチーフ。

上坂部西公園北側、玉江橋線沿い

JR尼崎駅北側

近松公園内

近松公園東側、近松線沿い
○と-のデザインは近松の紋所をアレンジしたもの。

JR尼崎駅北側
梅川の像






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