関ヶ原 決戦地

2009年07月14日

関ヶ原にある、決戦地跡(岐阜県不破郡関ケ原町)です。
決戦地1293  決戦地2294
関ケ原合戦の午前中の戦況は、西軍75,000余の内、参戦していたのは、石田、小西、宇喜多、大谷隊の35,000余の軍勢のみでした。
しかし、西軍は東軍を圧迫し、優勢でした。
東軍は南宮山の毛利隊に備えていた有馬・山内隊も前線に投入し、家康本体も戦況打開の為、今の陣場野まで進出しました。
戦況不利とみた家康は、かねてから内応を約束していた小早川隊に催促の一斉射撃を命じました。
この威嚇により、小早川秀秋は決意し、西軍、大谷隊の背後から攻撃を始めました。
西軍絶対有利の陣形で望んだ合戦でしたが、小早川の裏切りにより、大谷、平塚隊の奮闘もむなしく敗れたのです。

この敗退を機に小西隊が敗走を始め、宇喜多隊も正面から福島隊、側面から小早川隊の攻撃をうけて敗走しました。
残った石田、島津隊は新手の東軍とも奮戦しましたが、石田隊が江州方面へ敗走。
最後まで戦場に残った島津隊も、兵を集め一丸となり家康本陣前を敵中突破して、伊勢街道方面へと脱出しました。
関ヶ原町HPなどより


石田三成陣跡から、町立関ヶ原北小学校・関ヶ原北附属幼稚園の前を通り、約200m南(駅方向)へ歩くと、決戦地の碑があります。
田圃の中にあります。
周りに高い建物も木もないので、遠くからでも確認できるので、迷う事は絶対にないと思います。

決戦地といっても、この場所(碑のある場所)だけが決戦地ではなく、笹尾山からこの辺り一帯が決戦地といわれる場所です。
何万という兵が戦ったのですから、そんな狭い場所ではないのは判ります。

それにしても戦国時代の戦いというのは、映画・テレビで観るようなあんな感じだったのでしょうか?
この頃も名乗りを挙げてから1対1で戦ったのでしょうか?
しかし鉄砲があるので、名乗りを挙げての1対1は無理だったのかな?
偶然、名乗りを挙げることになったとかはありそうですが…。

いったいどんな戦いだったのか、史実に忠実に再現されているような映像を見てみたいです。
この場所に立ってみると、何となくここが決戦の地になった事にうなずけます。
見晴らし、立地、広さ、等々どれも当時の戦いにピッタリの場所のようでした。
幕末ファンの戦国時代無知な私でも、ここにもう少し居たい気もしました。

血が流れた戦場跡でも、清々しい空気だったような気がします。


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小和田 哲男

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