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石田三成陣跡-笹尾山

2009年07月11日
石田三成陣跡(岐阜県不破郡関ケ原町大字関ケ原)になります。
石田三成陣跡1285

石田三成陣跡5289  石田三成陣跡4288

石田三成陣跡3287

三成は、北国街道を守備するため、兵6,000と豊臣の兵2,000を笹尾山の正面に配しました。
竹矢来を二重に田の中に囲い、竹矢来の前面に島左近を、中間に蒲生郷舎を置き、三成自身はこの山頂で指揮しました。
この山の前面が最大の激戦地でした。

石田三成陣跡7291
     二重の竹矢来

石田三成陣跡蒲生8292
   蒲生郷舎陣

石田三成陣跡2286
  笹尾山より関ヶ原を望む

関ヶ原町HPなどより

国道365号の小池北交差点から東へ入り、100mちょっと行った交差点を北へ曲がると笹尾山下の駐車場につきます。
私も来るまで連れて行ってもらったので、電車からの徒歩の情報は地図上だけになってしまいます。
今回は記述しないでおきます。

石田三成陣跡が一番簡単にわかるのかもしれません。

関ケ原といえば、冬、雪で新幹線がよく徐行する場所です。
冬の関ヶ原も訪れてみたいです。

まず私の関ケ原のイメージは、
何も無い草の原っぱが永遠と続いていて、見渡す限り家も何もありません。
その原っぱの真ん中に、石碑がひとつ建っている。
そんなイメージでした。
いろいろな関ケ原関係(?)の写真はそんな風景ではなかったですか?

確かに現地は、広く平らな土地でした。
しかし広いですが、私が想像していたより狭かったです。
小高い丘などもあり、イメージが間違っていたことに愕然としました。

ここは石田三成の陣跡です。
石田三成といえば、今NHKの大河ドラマにも登場していますから、今はあのイメージですね。
そして実物との違いでガッカリするものなのですよね。
といっても、石田三成の実物は写真がないので、わかる事がありません。
肖像画はどこまで信用していいのやら。

本当に低い丘ですが、関ケ原を一望する事ができました。
確かにいい場所ですね。
石田三成は直江兼続と策を練ったとか…。
“天地人”のあの二人が話している口径が目の前に出てきます。

この土地で大決戦があったのです。
特にこの山の前面は激戦地です。
多くの血が流れて、血生臭いく、腐臭がして、見ていられない光景があったのでしょう。
天下分け目の戦いといわれる、歴史に残る戦いがあったのです。
今は本当に何もない、所々に碑がある程度です。
逆にいえば、何もないまま残しているので、当時を偲ぶ事ができるのですよね。
ここに新興住宅地やビルが建っていたら、正直幻滅ですもの。
敵味方入り乱れての戦いが想像できます。

幕末の戦いとはまた違ったものだったのでしょう。
戦国時代ファンも多いそうですので、きっとこれからも残していってもらえると思っています。


関ケ原の戦い







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Comment
No title
こんにちは。
ここは観光地では無いのでしょうが、観光地と言うのは往々にしてパンフレット等の写真とイメージが違うと言う事もありがちです。
ドラマの石田三成は生意気で冷たいかと思えば、意外に熱い男で、結構良い奴といった描かれ方してますね。私も不器用な生き方をするキャラは好きなので結果が分かっていても、三成には死んで欲しくない気持ちです。
ところで、この時代の戦い、実際はどうだったのでしょう。ドラマだと格好の良い馬にまたがって槍や刀で突撃ですが、本物の馬は道産子馬みたいだった様ですし、タイムマシンで現場を見れたら、やはりがっかり感漂う風景だったりして?
スポッツ

Re: No title
そうそう、そうなんですよね。時代劇で一番といっていいほど違うのは、馬ですよね。足の太い、それほど早く走れないような馬だったと聞きました。沖田総司が山南敬助を追って、大津まで馬で走ったのも、ボテボテと走っているような、歩いているような風景だったのかもしれません。
抜身の大刀で敵を斬り倒す場面も、実は着物も着崩れて(端からみたら)格好悪かったのかも…。
時代劇のイメージで当時の風景を考えてしまいますが、実際はもっと人間臭いものだったのでしょうね。
でもタイムマシンで過去を覗いてみたいです。

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