息継ぎ井戸

2009年07月04日
息継ぎ井戸(兵庫県赤穂市加里屋1992)と呼ばれる井戸です。
息継ぎ井戸
江戸で起きた主君浅野内匠頭の刃傷事件を大石邸に知らせるため、元禄14年3月14日の夕刻に赤穂藩士早水藤左衛門と萱野三平が、早駕籠で四昼夜半で江戸から赤穂へ駆け抜けました。
3月19日早朝、赤穂城下に入りこの井戸水を飲んで一息ついたといわれています。
江戸~赤穂は155里。
その為、息継ぎ井戸と呼ばれています。

赤穂では井戸水に海水が混じるため、江戸初期に千種川上流から水を引いて上水道を整備しました。
この井戸にも上水道が引かれ、人々の暮らしを支えました。
日本三大上水道の一つとされています。
赤穂水道局HPなどより


JR赤穂線播州赤穂駅前の南側ロータリーを出て、国道250号を渡ります。
南に伸びている、主要地方道32号をまっすぐ南に歩いて行きます。
300mほど歩くと、お城通り交差点に着きます。
その交差点の南西角に井戸があります。

歩いていると突然目の前に井戸が出現、というような感じでした。
何かな?と立寄ってみると、赤穂浪士ゆかりの井戸でした。

井戸の中がどうなっていたか覚えていないのです。
柵がなく、周りの石枠もこれだけ低いとなると、埋められているのか、金網の蓋があったのか…。
どうだったなか?

四昼夜半で江戸から赤穂へ帰って来たという事は、1日130㎞も進んだのですか?
早駕籠なので、2人が走ったわけではないですが、この駕籠を担いだ駕籠かきの人は大丈夫だったのでしょうか?
どれだけの距離を担いだら交替したのでしょう?
大人の男性を乗せた駕籠を担いで走る…考えられません。

駕籠に乗っている方も大変しんどいと、聞いた事があります。
主君の一大事、一刻も早くと焦る気持ち、早駕籠に揺られる、精神的にも肉体的にもギリギリの状態だったのではないでしょうか。
そう思うと、実はここで水を飲まずに知らせに走りたいという気持ちも、少しはあったかもしれません。
しかし人間は水がないと生きていけませんから、飲まざる得なかったのと、気持ちを落ち着かせるためにも一息つくことは大切だったのでしょう。


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(2007/11)
野口 武彦

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