さざえ堂-旧正宗寺三匝堂

2008年04月27日
さざえ堂-旧正宗寺三匝堂(会津若松市一箕町飯盛山)
戸ノ口堰から白虎隊士の墓地に行く途中にあります。
さざえ堂
戊辰戦争当時もここにあり、明治23年には観音像のあった場所に白虎隊十九士の霊像が安置され、
白虎隊とは少なからず関係があるので、息抜きをかねて紹介します。

会津さざえ堂は、福島県会津若松市の飯盛山に1796年に建立された、高さ16.5メートル、六角三層のお堂です。正式名称は「円通三匝堂」(えんつうさんそうどう)といいます。
その昔、飯盛山には正宗寺(しょうそうじ)というお寺があり、当時の住職であった僧郁堂(いくどう)の考案した建物です。

その独特な2重螺旋のスロープに沿って西国三十三観音像が安置され、参拝者はこのお堂にお参りするだけで三十三観音参りができます。また、上りと下りが全く別の通路になっている一方通行の構造により、たくさんの参拝者がすれ違うこと無く安全にお参りができるという世界にも珍しい建築様式を採用したことで、その特異な存在が認められ、平成7年に国重要文化財に指定されました。

さざえ堂に入りますと、上りに一回転半、下りにまた一回転半、合計三回転することになりますが、三匝堂の「匝」は「めぐる(匝る)」という意味があり、三回めぐりながら観音様をお参りすることになります。

当時、会津より西日本方面に出かけて各地の札所をお参りするということは一般民衆には夢のような話でした。そのため会津地方には三十三観音札所が点在しますが、それらをさらにコンパクトに一ケ所のお堂に集約したのです。

1780年代より、当時の民衆の観音信仰を背景に、江戸の羅漢寺をはじめ、関東を中心として全国各地にさざえ堂と呼ばれる建物が建てられました。やはりどちらのさざえ堂も観音像を安置し、一度にお参りするためのお堂です。有名なところでは群馬県太田市や埼玉県児玉町に現存しますが、会津さざえ堂の構造とは異なり、平面は方形で、中二階を用いた三階建てになっています。

明治になり、正宗寺は廃寺されました。また、神仏分離令によって三十三観音像は取り外されました。明治23年には観音像のあった場所に白虎隊十九士の霊像が安置されましたが、のちに会津藩の道徳の教科書であった、第八代藩主松平容敬(かたたか)公の編纂された「皇朝二十四孝」の絵額が掲げられ、現在に至っています。

入ってみました。
急な階段(坂に滑り止めがついている感じのものでした。)で、登るのも下るのも怖かったです。
それでも気付かないうちに、登りの通路から下りの通路を歩いていました。
すごく不思議な建物でした。

最近のニュースでみたのですが、
マナーのない観光客が、落書きや柱を彫って自分の名前などを刻んでいくという、悪質な行為が頻発しているそうです。
年月を重ねて、自然の摂理で傷んでくるのは歴史ですが、人為的に傷つけて朽ちるのは歴史ではありません!
世間にアピールしたいなら、人に迷惑をかけない方法で行ってください!
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