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箱根関所 壱

2009年06月14日
近藤勇や土方歳三をはじめとし、新選組隊士も通った箱根関所(神奈川県足柄下郡箱根町箱根1)です。
箱根関所1  箱根関所2
関所の歴史は、646年の「大化改新の詔」に「鈴鹿(伊勢)・不破(美濃)・愛発(越前)」に「関塞(せきそこ)」を置くことに始まったといいます。
鎌倉時代以降の関所は、「関銭」というお金を払わなければ通ることができない所となり、集めたお金でお寺や神社を建設するといった、経済的な施設となりました。

江戸幕府は江戸を守るため、全国に関所を設置しました。
江戸時代初期は、軍事的な拠点として機能していましたが、平和な時代になり、治安維持のための警察的機能へと変わっていきました。
明治2年にその役目を終え、廃止されました。

人質として江戸に住まわせていた大名の奥方が国元に逃げ帰ることによって、幕府に対する謀反が起こらないようにすること。
大量の武器が無断で江戸へ持ち込まれないようにすることに、厳しい監視の目を光らせていたようです。
「入鉄砲と出女」といいます。
“出女”の取り調べは、大名の奥方だけでなく、庶民の女性に対しても行われていました。
全国53か所の関所がすべて「入鉄砲と出女」の取り締まりを行っていたわけではなく、それぞれの関所で、独自の取り締まりの方法がありました。

箱根関所は、江戸時代第一の主要道路である東海道を監視するために、設置された重要な関所です。
箱根関所の役割は、関所構内に掲げられた御制札に記載されており、旅人が関所を通るには、様ざまな検査が行われました。
箱根関所では、江戸から関西方面へ向かう「出女」の場合は、幕府の御留守居役が発行した証文(女通行手形)を必ず所持し、手形に記載された内容と持参した女性の特徴が一致しなければ、関所を通ることはできないという、厳しい取り調べが行われていました。

「御制札場」に掲げられていたのは、次の五項目でした。
一、関所を通る旅人は、笠・頭巾を取り、顔かたちを確認する。
ニ、乗物に乗った旅人は、乗物の扉を開き、中を確認する。
三、関より外へ出る女(江戸方面から関西方面へ向かう女性:出女)は詳細に証文と照合する検査を行う。
四、傷ついた人、死人、不審者は、証文を持っていなければ通さない。
五、公家の通行や、大名行列に際しては、事前に関所に通達があった場合は、通関の検査は行わない。ただし、一行の中に不審な者がまぎれていた場合は、検査を行う。

「出女」「手負」「死人」「不審者」以外の者は、無手形でも、関所を通ることができたようです。

このような箱根の関所を近藤勇たちが通った記録があります。

①元治元年10月15日
近藤勇・永倉新八・尾形俊太郎・武田観斎・新人隊士をともない京都へ出立。
近藤は道中、引戸駕籠で箱根関所抔も乗り通行致し、盛んなことでありました。
(加納通広『史談会速記録』一〇四輯)

②慶応元年4月27日
土方歳三、新選組入隊士をともない、江戸を出立する。
慶応紀元乙丑首夏、新撰組副長土方歳三義豊、目付役斎藤一、伊東甲子太郎、東下徴募、同月廿七日召連帰京いたし候新人局列名。
(異聞録)
とあり、陸路東海道を出立しています。
箱根関所HP&新選組日誌などより


小田原駅より箱根町行バス55分、関所跡入口下車2分
箱根湯本駅より箱根町行バス40分、関所跡入口下車2分
という事ですが、私は車で連れて行ってもらったので、詳しい行き方がわかりません。
山と湖に挟まれた、ごく一画開けた場所でした。

相変わらず、私の旅行は雨です。
今回も雨でした。
山の中を走り、開けたと思ったら関所への案内が出てきました。

この箱根関所は、平成19年に復元されたそうです。
『相州箱根御関所御修復出来形帳(慶応元年)』という報告書が、静岡県の韮山町(現・伊豆の国市)で発見された事がきっかけだったそうです。

箱根関所と新選組が関係あるとは、考えていませんでした。
たまたま箱根の関所を通る機会があり、調べてみると通った記録が残っているではないですか。
この山を近藤勇と土方歳三は通っているのです。
建物は復元なので、当時、近藤や土方が見て触った(?)ものとは違いますが、同じような風景を見たのかもしれません。
というか、近藤勇は駕籠から出ていないので風景を見ていない…かも。

清河八郎が募集した浪士隊として、京都へ向かった時は、中山道を通っているので、この箱根は通過していないはずです。
また、鳥羽・伏見の戦い後江戸へ戻る時は、天保山から船で海路戻っているので、この時も箱根は通らずです。
清河八郎は全国を歩いているようなので、それ以外の時に通っている可能性はありますね。
沖田総司は、上洛時は中山道、帰東は病気で船で海路ですから、この箱根の関所を通ったことはなかったと思います。

当時のまま建物が残っていてくれたら一番嬉しいのですが、なかなかそうはいきませんね。
それでも文献から研究されて、同じように復元されているので、近藤勇や土方歳三が歩いている姿をよりリアルに想像できそうです。


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Comment
No title
こんにちは。
新撰組が、ここを通って東海道五十三次終点の3条大橋まで行ったのですね~。①は池田屋事件や蛤御門の変の後あたりの話でしょうか。
箱根は、自分的には伊庭八郎ら「徳川義軍遊撃隊」の箱根戦争を連想してしまいます。
特に、人見勝太郎達が箱根湯本から我が、磐城湯本へ来ているせいもあり温泉に縁があるのか?遊撃隊等。と下らない考えが。
幕末には、なんら関係ない話ですが、(磐城)湯本とその後彼らが渡った函館近くの湯の川温泉って全国でも2箇所しかない馬の温泉がある所で、オンパクと言うイベントでも繋がりがあるんですよ。
スポッツ
Re: No title
私はどうしても新選組ファンの目で、訪れた場所をみてしまいます。
その後で、その他の幕末のエピソードを知っていく状態です。
本当は、幕末という大きな括りで、最初から見ることが出来るのが理想なのでしょうね。
”馬の温泉ですか。
馬も頑張って走らなくてはいけないので大変ですね。

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