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天寧寺-近藤勇墓

2008年04月25日

ハイカラバスというバスが走っているのですが、1時間に1本しかなく、ちょうど阿弥陀寺滞在時間を短くすると、予定とは逆ですがすぐに来るので、それに乗り東山温泉の手前まで行ける事がわかりました。
本当は会津武家屋敷の方に行き、松平家御廟を訪れる予定でした。

しかしバスの予定で、天寧寺・近藤勇の墓(福島県会津若松市東山町大字石山慶山)に行く事にしました。
もちろん天寧寺は絶対に行く予定でした!新選組、近藤勇関係ですからね!!
天寧寺1

天寧寺3  天寧寺2
天寧寺裏の愛宕山中腹にあります。
慶応4年4月25日、板橋の刑場で近藤が斬首されました。
会津西街道の山王峠付近にいたであろう土方歳三が、いつ、どのようにして近藤の死を知り得たかは不明ですが、会津を退去する8月23日までに土方は天寧寺に近藤の墓を建てました。
そして、会津藩侯の松平容保に請願し、自らが建立したと伝えられる墓石正面には、丸に三つ引き紋の近藤の家紋と「貫天院殿純忠誠義大居士」の戒名が刻まれています。左側面には「慶応四年戊辰四月二十五日卒、俗称近藤勇藤原昌宜」とあります。
戒名は容保から依頼された天寧寺三九代吟月雲歩住職が授けたものといいます。
 
天寧寺の諸説
・日没の薄暗がりのなかを立派な武士が2、3人やってきて重そうな白木の箱を埋めた。
・京の粟田口の刑場に埋められた近藤の首級を新選組隊士が集まって会津まで運び、滝沢峠に会 津の兵が夜、松明を持って迎えた。
など、土方の建てた墓に近藤の首級を埋葬したととれるような言い伝えがあります。
また首級ではなく、遺髪であるとする説もあります。
新選組史跡事典より

会津に駐留していた新選組は、この天寧寺を屯所としていたようです。
8月22日、母成峠勝岩陣地から敗走した新選組はさんざん山を踏み迷いながらも同寺に集結し、宿陣しています。  新選組事典より

坂道を登っている時から人が多かったです。
斉藤一さんのお墓では誰にも会わなかったのですが、ここでは何人もの人に会います。

でもよく考えてみると、誰にも会わなかった斉藤さんのお墓には、斎藤さんが眠っているのです。
しかしこの近藤さんのお墓には、墓碑だけで近藤さんが眠っている可能性は低いのです。
もし遺髪が納められているとしても、斎藤さんのお墓の方が“お墓”なのです。
それなのに、近藤さんがいないかもしれない“お墓”の方が人気(?)というのは、おかしいといえばおかしいのかもしれません。
近藤勇は戊辰戦争では会津まで来ていないのですよ。

ただこの墓碑は、“土方歳三が作った”というのが惹きつけられるのかもしれません。 

人が多すぎて、墓碑の前で思いに耽ることもままならず、次に向かう事にしました。

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