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談山神社

2009年06月01日
談山神社(奈良県桜井市多武峰319)での密談が無ければ、大化の改新はなかったかもしれません。
談山神社3  談山神社1
舒明天皇・皇極天皇の時代、蘇我蝦夷と入鹿親子の勢力は絶大で、国政をほしいままにしていました。
中臣鎌子(後の藤原鎌足)は、国家のあり方を考えていました。

たまたま飛鳥の法興寺(飛鳥寺)で蹴鞠会があった時、中大兄皇子(後の天智天皇)に会うことができ、645年5月、二人は多武峰に登り、「大化の改新」の談合を行いました。
後にこの山を「談い山」「談所ヶ森」と呼び、談山神社の社号の由来となりました。

669年10月、鎌足の病が重いことを知った天智天皇は、みずから病床を見舞い、大織冠を授け、内大臣に任じると、藤原の姓を賜りました。
藤原の姓はここに始まります。

鎌足公の没後、長男の定慧和尚は、留学中の唐より帰国、多武峰に墓を移し十三重塔を建立しました。
701年には神殿が創建されました。


談山神社2
十三重塔室町時代)
父・藤原鎌足の追福のために、長男・定慧と次男・不比等に よって678年に建立されました。
現存の塔は、享禄5年の再建で、木造十三重塔としては、世界唯一のものです。

唐の清涼山宝池院の塔を模して建てられたと伝えられています。
高さは約17mあり、屋根は檜皮葺です。
神仏混淆時代の名残です。


談山神社4388
談山神社本殿(江戸時代)
藤原鎌足公を祀る本殿は、三間社隅木入春日造のけんらん豪華な様式で知られています。
社殿全体は極彩色 模様や、花鳥などの彫刻によって装飾されています。

701年の創建で、今の本殿は
嘉永3年に建て替えられたものです。
日光東照宮造営の際の手本となったことでも有名です。


聖徳太子御誕生水春井
聖徳太子が飛鳥の橘寺で誕生した際、産湯に使ったのがこの春井だと伝えられています。
石碑は
江戸幕末に建てられたもので、井戸は石碑の左後方にありました。

現在は原型をとどめていません。
しかし井戸跡と思われる場所からは今でも飲用可能な清水が湧き出ています
現在、訪れる人はほとんどないようで、草が茂り人が足を踏み入れた様子はありません。
談山神社より


近畿日本鉄道大阪線かJR桜井線の桜井駅で下車します。
桜井駅南口より談山神社行(または多武峰行)バス、タクシーなどで行きます。
桜井駅発のバスは1時間に1本しかありません。
バス停より徒歩3分で談山神社です。

もし歩いて行きたいという方がおられるのなら、駅の南口を出て、国道165号を東へ700mの所で、薬師町交差点があります。
そこから南へ曲がります。
およそ6㎞歩けば談山神社に着くことができます。

談山神社は紅葉の名所なので、秋に行かれると綺麗だと思います。
但し、人・人・人です。

この談山神社での談合がなければ、大化の改新もなかったでしょう。
同じような事件があったとしても、成功したかはわかりません。
もし歴史がそうなっていたら、現在の日本は違っていたのでしょうか?
大化の改新というのが、1300年以上前の話なので、現在にどう影響するのか想像もできません。

談山神社から山を登ると、談い山があります。
さらに分岐を反対に登っていくと、御破裂山に藤原鎌足墓所(古墳)があります。
この辺りにくれば、大化の改新をイメージできる雰囲気があるのかもしれませんね。
今回はそこまで行く時間がなくて、社殿とその周辺だけで帰りました。

聖徳太子の産湯の井戸があるのは知りませんでした。
見たかったです。

談山神社で“奈良のお寺だなぁ~”と思ったのが、お寺ですからお守りなどが売られていました。
その横にお金を入れる箱が置いてあるだけだったのです。
もちろん対面で売っているところもありました。
お寺で、悪い事をしたら自分にかえってきそうとはいえ、すごい事ですよね。
奈良のお寺を回っていたら、すごく良い人ばかりでした。
ギスギスしていないというか、歴史を笠に着ていなくて、素朴(失礼かな?)で親切な人が多い印象なのです。
そういう気質なので、基本的に人を信用しているのかもしれませんね。


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