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余談-法隆寺の七不思議

2009年05月19日
法隆寺の七不思議については、いろいろな七不思議があるようですが、
法隆寺執事長(現:法隆寺長老)の高田良信氏が以前、本に書かれていた七不思議を紹介しておきます。

1.伽藍の建物に蜘蛛の巣がはらない
 蜘蛛の巣ははっているそうです。
 高田氏は、蜘蛛でさえ巣をはるのを控えているのだから、人間はなおさらのこと、堂塔を大切にしていこうという、信仰から出た不思議ではないかとされています。

2.地面に雨だれの穴があかない
 雨が降れば、雨だれの穴はいくつもあるそうです。
 これも“伽藍の建物に蜘蛛の巣がはらない”と同じように、信仰から出た不思議だと思われます。

3.五重塔の九輪に四本の鎌がある
 この鎌が自然に上に登ったり、下がったりするという伝承があります。
 登っていらその年は米が豊作、下がっていれば凶作。
 
 鎌を置いた真相は不明ですが、落雷除けではないかと思われます。
 当時は雷を魔物と考えて、刃物を置くことで魔物が近寄らないと考えたとおもわれますが、どうして鎌にする必要があったか、また謎がふえてしまいます。

4.法隆寺の境内に三つの伏蔵がある
 伏蔵とは地下にある秘密の蔵ということのようです。
 昔から堂塔を建てる場合、その建物が無事後世に伝えられることを祈って、鎮壇具というものを地下に納める習わしがあります。

 1つは、金堂内の北東の隅にある丸い土壇。その他は、西院の経蔵の内と、大湯屋の表門の前あたりに巨石があります。(大湯屋前の石は土中に埋まっています)
 法隆寺には一大危機が訪れた時にはその伏蔵を開き、その財宝をもって再興を行えばいいという伝承があるそうです。
 しかし未だかつてそれを開いたという記録はありません。

 法隆寺を立派に護持せよとの戒めではないかと、高田氏は推測されています。
 しかしなぜ、伏蔵が3つもあるのかは謎です。

5.因可池に片目の蛙がいる
 東大門から夢殿に至る大路の右奥にあります。
 この一帯は昔、太子が住まわれていた斑鳩宮のあったところで、太子が学問をされていた時に因可池の蛙が鳴いたので、太子が筆の先で静かにせよと、蛙の片目をつかれたところ、この池に棲む蛙はすべて片目がつぶれ、その子孫までが片目となったといいます。

 これは太子の威厳を示す伝説で、太子の学問の妨げをしたことに対して蛙の子孫までが懺悔したという話です。
 太子信仰にまつわる伝説の一つ。

6.南大門の前に鯛石という石がある
 南大門の階段の下の魚の形をした踏石。
 伝承によれば、大和一円が水害にあった場合、水が南大門までおしよせても決して寺内に入らなかったといいます。
 そこで南大門の下に魚の形をした石を据え、魚もここまで泳いできたということを示したものといいます。
 これは法隆寺が最高の立地条件のもとに建っていることを意味するものであり、この地を選ばれた太子の遺徳を讃える、太子信仰の伝説に基づいています。

7.夢殿でお水取りという行事がある
 夢殿の本尊救世観音像の前に礼盤という僧侶が座る座あります。
 その畳座の下に正方形の木板があり、その裏を年に一度日光に当てると汗のように水分がでるといいます。
 毎年旧暦の1月12日に、早朝から礼盤を堂外に出して日光に当てると自然と水気を帯びます。
 水気の多い少ないによって、豊作か凶作かを占ったといいます。
 「夢殿のお水取り」とよんでいます。

 なぜ水を帯びるのか?
 礼盤の下に井戸があり、その湿気が礼盤に含むためであろうと伝承があります。
 礼盤の下には凝灰岩の基壇があり、その下がどうなっているのかわかりません。
 昭和12年の夢殿修理の時も、信仰上の理由から未調査です。

8.雀も伽藍の堂塔に糞をかけない
 雀や鳩が巣をつくり、欄干や瓦が白くなっています。
 “蜘蛛の巣”と同じように、太子信仰上の伝承です。

9.舎利から太子が見える
 東院の舎利殿には、太子が2歳の春まで手中に持っておられた舎利が納められています。
 毎年正月三が日の間公開しています。
 舎利は水晶の五輪塔の中に入っており、その舎利を正面から見ると水晶の舎利塔を通じて、その向こうに太子の姿が見えるといいます。

 お堂の中央にある厨子に、太子の二歳像が安置されているので、その姿が水晶の塔を通じて参詣者の眼に写ったのではないでしょうか。

10.不明門と不閉門がある
 不明門は夢殿の正門の事で南門と呼んでいます。
 かつてこの門に推古天皇の勅額が上っており、一般の通行を許さなかったといいます。
 (その額は、現在東京国立博物館に保管)

 不閉門は不明門の西にある門で、昔は村人たちが往来するときに使っていたといいます。
 古くは門の役人がいて、朝夕時間になると開閉していたと思われますが、便宜上次第に開けっ放しになったようです。


その他の不思議はまだあります。

1.中門の入口が二口あること
 入口は大抵一口か三口の奇数ですが、ここだけは偶数の入口となっています。
 これについて昔の寺僧たちも、
 ・太子の子孫が継がないために真ん中に柱を作った。
 ・真言宗の胎蔵界・金剛界にちなんで入口を二口にした。
 などと説明していますが、人々を納得させる解答はありません。
 ・太子の怨霊が伽藍から出ないようにするため、という法隆寺怨霊封じ説も出てきました。(梅原猛氏)

 西院の建立にあたって伽藍全体のバランスを重視し、右に重量感のある金堂、左に高い五重塔があり、それらを囲む回廊の高さや長さが配慮されています。
 中門を中心として東西にのびる回廊が左右対称のように見えますが、実は東の回廊の方が一間分長く作られて、伽藍全体のバランスを保っています。
 それに関連して中門も四間として、二つの入口とせざえるを得なかったのではないかと思われます。

2.なぜ若草伽藍と呼ぶのか
 若草伽藍と呼ばれる場所は、普門院と実相院の裏地にあります。
 草が生い茂り、南には重文に指定された大垣が東西にのびています。
 その大垣寄りの所に若草の塔の心礎と伝える大石があります。
 平安時代はこの場所を花園と呼んでいたことが知られています。
 おそらく西院伽藍の南にあって、仏前に供する花や野菜を栽培していたところから花園と名づけられたらしい。
 花園が徐々に荒廃して、やがて雑草が繁る荒野と化したことから、若草という名称が生じたのではないかと思われます。
 記録上では花園というのが最も古い名称であるので、若草という名称は古い時代のものではないのは確かです。

3.若草伽藍と西院伽藍の関係
 昭和53年度よりはじまった防災工事に先立つ事前発掘によって、若草および現伽藍に関する遺構の発見が相次ぎました。

 若草と西院が両立しないことが判明しました。
 すなわち若草伽藍焼失後、寺地を現伽藍地に移して法隆寺を再建したこととなります。

4.『日本書紀』に法隆寺再建の記事がないこと
 『日本書紀』には天智8年と9年に法隆寺が焼失したとする記事があるのですが、その後再建したという記事はありません。
 なぜ再建のことを記さなかったのかという疑問があります。

5.五重塔にだけ雷よけの御符があること
 五重塔の各層の四方の通肘木のところに木札が四枚ずつ打ち付けられています。
 これは「避雷符」という雷除けのお札です。
 落雷の難は九輪の鎌だけでは充分ではなかったようです。

 鎌倉時代に塔の三層目に雷が落ち、寺大工達たちが消しとめたと伝承があります。
 三層目の心柱の継手の所に焼け跡が残っています。
 そのため、高徳の僧・叡尊に依頼して札を書いてもらったといいます。
 それ以降は落雷の記録はありません。

6.金堂と塔に裳階があること
 法隆寺の金堂や五重塔には下層部だけ裳階があります。
 あとから付け加えたとする意見がありましたが、最近では建立当初から付いていたとする説が有力です。
 内陣にある壁画を風雨から保護するために必要だったのかもしれません。
 金堂も塔も、昔は堂内で法要をせず、建物の前で行われることを恒例としていたため、雨天の日などは法要が出来ないこともあって、雨の場合はこの裳階の中で略式の法要を行ったのかもしれません。

7.金堂の仏像が堂の中心より前に安置されている
 法隆寺の金堂の薬師・釈迦・阿弥陀の三尊は、すべて中央より前に安置されており、三尊の上にある各々の天蓋も三尊に従って前方にあります。
 天蓋は当初から今のところにあり、前方に移動した痕跡はありません。

 金堂が建立した時にはまだ他の収納施設が建っていなかったこともあって、寺に施入される多くの仏器や太子の遺品などを金堂内に納める必要から、このような安置方法をとったのかもしれません。
 平安時代に橘寺から仏像などが移入されたときでも、他のお堂に安置せずに金堂内に納めていることは、金堂の後方を宝物類を納める施設の一つと考えていたことを示すものではないでしょうか。


この他に、故石田茂作氏は、
1.中門中央の柱
2.金堂五重塔の裳階
3.中門講堂中軸線の喰い違い
4.五重塔の四天柱礎石の火葬骨
5.三伏蔵
6.五重塔心礎舎利器に舎利無し
7.若草塔の心礎

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