中岡慎太郎像

2009年05月19日
室戸岬に建つ、中岡慎太郎像(高知県室戸市室戸岬町)です。
中岡慎太郎像1  中岡慎太郎像4
山の頂上に室戸岬灯台がみえます

中岡慎太郎像7
     正面から

中岡慎太郎像10  中岡慎太郎像11
   刀を握る左手と後方から背中をみました。

中岡慎太郎像8  中岡慎太郎像12
         銅像の横に建つ石碑と台座裏

中岡慎太郎像13  中岡慎太郎像14
       銅像の後ろ側に年表とともに刻まれています

中岡慎太郎像より
銅像の足元からの太平洋の眺望

乱礁遊歩道の入口に立つ像。
昭和10年に、故郷である安芸郡の青年団によって全国に募金集めがなされ、この像が建てられました。


中岡慎太郎は、土佐国安芸郡北川村柏木の出身の土佐藩士です。
光次。道正。迂山。石川誠之助、大山彦太郎、横山勘蔵。

北川郷大庄屋の出でしたが、間崎滄浪や武市瑞山に学問、剣術を学びました。
文久元年8月、土佐勤王党結成時には17番目に血盟しています。
龍馬は9番目に名を連ねています。

翌2年、山内容堂を護衛する五十人組に伍長として参加。
翌3年10月、脱藩して長州の三田尻に至り、五卿の護衛を務めました。
元治元年7月には忠勇隊に属して禁門の変に参加し敗走しました。

元治元年2月ごろから薩長和解の実現に向けて尽力し、龍馬の協力もあって翌2年1月に薩長同盟が締結されました。
3年4月には藩から龍馬とともに、脱藩罪を許され、土佐藩遊軍の陸援隊を組織統率する事になりました。
その後も、薩土盟約の周旋などに活躍しましたが、慶応3年11月15日、京都近江屋で龍馬と会談中を襲われ負傷し、17日に死亡しました。享年30歳。
墓は京都府京都市東山区清閑寺霊山町の霊山墓地。
坂本龍馬大事典より


土佐くろしお鉄道「奈半利駅」から高知東部交通バス「甲浦行き」で55分、「室戸岬」下車すぐ。
↑という事です。
私は鳴門方面に行く予定があり、鳴門から海岸沿いの国道55号を走って、走って、走って室戸岬まで行きました。
2時間半ぐらいかかったでしょうか…。
途中多くのお遍路さんを見かけました。

走っていくほどに海の色が違ってきました。
瀬戸内海の海と太平洋は、海の色も波の様子も違っていました。
室戸岬の端に中岡慎太郎は建っていました。
もっと海、ギリギリのところに建っているのかと思っていました。
山をバックに建っているとは想像もしていませんでした。

桂浜の坂本龍馬は、高い台座の上に海風を受けながら建っています。
須崎の武市半平太像も海と武市像という感じに建っていました。
この中岡慎太郎像は前は海ですが、背に山があるので海よりも山と結びつくような感じで建っていました。
思ったより小さいと思いました。
龍馬と中岡慎太郎をペアで考えていたので、同じような大きさの物が建っていると、どこか勝手に思い込んでいたのかもしれません。
顔も笑顔の写真が印象深かったので、ちょっと違う?って感じでした。

平日のお昼だったので、中岡慎太郎像の周りには5~6人の観光客していませんでした。
写真を撮っていたのは、私を含めて2人だけでした。
ん~、遠すぎてなかなか来られない?

中岡慎太郎はここに建って何を思い、何を見ているのでしょうか?
中岡慎太郎も海の向こうに夢を持っていたのでしょうか?
それでも故郷(正確には室戸は中岡の故郷ではありませんが、土佐・高知という場所として)の海はきっと中岡慎太郎に安らぎを与えているのでしょうね。

室戸岬の中岡慎太郎像は桂浜の坂本龍馬像の方を向いているといわれていましたが、方向的にはずれているという話も聞いた事があるのですが…。
須崎の武市半平太像も見たので、あとは足摺岬のジョン万次郎像ですか?!

夏を過ぎる頃から、台風の発生が多くなります。
「室戸岬沖○○㎞」や「室戸岬に上陸」などと、台風の直撃も多い場所ですが、中岡慎太郎さん頑張って建っていてくださいね。

帰宅するとインフルエンザで大変な事になっていました。


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松岡 司

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