蛇塚古墳

2009年05月30日
秦河勝の墓かもしれない、蛇塚古墳(京都府京都市右京区太秦面影町)です。
蛇塚古墳1203  蛇塚古墳2204
京都府下でも最大の横穴式石室をもつ前方後円墳です。
墳丘の長さは約75mあったと推測されていますが、封土は失われて後円部の石室のみが露出しています。
石室の全長は17.8m、玄室の長さ6.8m、玄室の高さ5.2mで明日香村の石舞台古墳に匹敵する大きさです。
床の部分の面積で比較すると日本で第4位の規模になります。

古墳時代後期の6世紀末から7世紀頃の築造とされ、現存する京都府の前方後円墳としては最後期に属します。
被葬者は不明ですが、秦氏一族の首長クラスの人物ではないかと考えられています。
被葬者を秦河勝とみる説もあります。

“蛇塚”の名の由来については、石室内に蛇が棲んでいたから名付けられたともいわれています。
また周囲が住宅地になる前は、空き地に石室がそびえている状態であり、石室に近づくことができました。
かつて「岩屋」と呼ばれていた時期があります。
石室の規模から蛇塚古墳はしばしば石舞台古墳と対比されます。
石舞台古墳の石室は花崗岩ですが、蛇塚古墳の石室は堆積岩です。
蛇塚古墳の石室の天井石は失われています。
Wikipediaより


京福電鉄帷子ノ辻駅を南側に出ます。
スーパーにっさん太秦店の南側にある、南に伸びる道を南の住宅街に入って行きます。
突き当たったら、西へ曲がりすぐにまた南へ曲がります。
真っ直ぐ南へ、道を渡って南へ行くと、住宅地の真ん中にポンッと蛇塚古墳が現れます。
約400mでしょうか。

こんな住宅地に古墳があるの?
半信半疑で歩きました。
するとどうでしょう、思わぬところに古墳がありました。
この古墳を取り囲むように、家が建っていました。
古墳が特別な物ではなくて、空気のような存在になっているのでしょうね。

秦河勝のお墓だったのかもしれません。
石舞台古墳に匹敵する大きさだとすると、それもありえるかもしれないです。
石舞台が蘇我馬子の墓で、蛇塚古墳が秦河勝の墓だとすると、聖徳太子ゆかりの二人は後世に残る大きな古墳(墓)に埋葬されたということです。
それだけの実力者だったのです。
さらにそれを上回るのが聖徳太子。
ん~、どんなに凄い人だったのでしょう。
さすが何度もお札になるだけの人ですね(笑)

蛇塚古墳という名前も少し不気味さを感じさせませんか?
蛇は神として崇められもしますし、忌み嫌われることもあります。
そういうところからも、なにか祟り的なもの、怪奇的なものなどを感じてしまうのは私だけでしょうか?
心霊番組好きですから、なおさらそちらにイメージを持っていってしまうのでしょうね。
といっても、この場所は全然そういう雰囲気はありませんでした。


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