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駒塚古墳・調子麻呂古墳

2009年05月23日
駒塚古墳と調子麻呂古墳(奈良県生駒郡斑鳩町大字東福寺1丁目4)です。
駒塚と調子麻呂古墳176  案内駒塚と調子麻呂175
左奥が調子麻呂古墳、手前が駒塚古墳です。
調子麻呂の墓は、西里の西福寺にあるとも。

聖徳太子の愛馬であった黒駒(烏駒とも)を埋めた塚だと伝えられています。
太子は諸国に命じて、良馬を求められたところ甲斐の国から献上されたのが黒駒です。
多くの“太子伝”にこの馬の伝説がでています。

「太子を乗せ、3日3夜で国中を巡った」
「太子が亡くなられたとき、柩のそばに寄り添って、河内の磯長陵(太子墓)までお送りし、柩が墓に葬られたとき、自ら赤い涙を流し、悲鳴とともに倒れ、息が絶えた」
などと伝えられています。

そして調子丸塚は太子の舎人(従者)で、いつも太子に仕え、84歳で亡くなりこの地へ葬られたと伝えられています。

なお、両墳は考古学の視点から古墳時代中期頃の造営と考えられています。
この二つの塚の近くに、太子が上宮(葦垣宮)から岡本宮(法起寺)へ学問のため通ったという伝説が残されています。
斑鳩町教育委員会説明板より


駒塚古墳は国道25号線沿いにあります。
中宮寺東交差点より200m少し東(法隆寺と反対方向)へ歩いたところです。
調子丸古墳は、駒塚古墳より東南へ約100mほどの場所にありますが、田圃の中にポツンとあり、畦道を通ってしか行けないようです。
黒駒を葬ったという駒塚古墳の方が、舎人の調子麻呂古墳より立派です。

なかなか見つける事が出来ませんでした。
地図にも載っていないのです。
聖徳太子関係の本の文章から判断して、この辺りかな?という場所を歩いてようやく発見しました。
でも近くまで行く時間がなくなってしまいました。
なぜか説明板が離れた場所にあった?写真に撮ってますものね。

愛馬の古墳と伝説の域であってもあるなんて、聖徳太子にとって黒駒はそれほど大切な相棒だったのでしょう。
舎人の調子麻呂といわれる古墳の方が小さいですし…。
調子麻呂は西福寺にお墓があるともいわれているので、小さくてもいいのでしょうか?
聖徳太子、黒駒、調子麻呂は三位一体だったのかもしれません。

こういう伝説か史実かわからない所も、古代歴史の楽しいところだと思います。


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