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旧中宮寺跡

2009年05月20日
旧中宮寺跡(奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺東1)です。
旧中宮寺跡1172  旧中宮寺跡2173
中宮寺は、法隆寺東院の東隣りにありますが、その地へは室町時代の移転と伝わり、創建当初は約500m東方の土壇の残る(旧)法隆寺小字旧殿を中心としたこの周辺に造営されていました。

昭和38年に初めて発掘調査が行われ、塔と金堂について多くの知見を得ました。
その後の発掘調査で、寺院伽藍や寺域等が徐々に明らかになっています。

塔跡にはついては、基壇上面の側柱礎石が抜き取られるなど保存状態は良くありませんでしたが、基壇の規模は一辺約13.5mで、塔自体は一辺約6.8mと推定されています。
基壇中央には約2.5m地下に、花崗岩の塔心礎が遺存し、そうの上面からは金環、金糸、金延板小片、玉類等の埋納物が発見されました。

金堂跡については、部分的な調査でしたが、基壇を二度造りなおしたことが明らかになりました。
創建当初は、凝灰岩製切石による壇正積基壇と推定され、これを平安時代に縮小し瓦積基壇とし、鎌倉時代に花崗岩の割石による乱石積基壇に修造しています。
鎌倉時代の基壇規模は、東西約17.3m・南北約14.1mで創建時もほぼ同規模であったと思われます、現存礎石や礎石抜き取り穴から桁間5間・梁行4間の建物が推定されています。

講堂、中門、回廊などの存在は明確になっていませんが、講堂は創建当初は計画されたものの、造営されなかった可能性が高く、中門は、溜池開削によって破壊されたと考えられます。

寺域については、西面と北面の築地塀跡(基底幅約2.1m)を検出していて、築地塀外観には幅約2.4mの外濠がめぐり、築地塀内側にも内濠がめぐります。
このことから、寺域は東西128m、南北165mと推定されます。
北門や南門の一部や西面築地に並行する南北の古道を検出しています。

出土遺物としては、創建瓦の単弁蓮華文軒丸瓦をはじめ、飛鳥時代から室町時代の瓦があります。
このことは、伝えられている寺院の消長と一致します。
中宮寺は聖徳太子が、母穴穂部間人皇后の宮室を寺院にしたと伝わり、聖徳太子創建七ヶ寺のひとつ「中宮尼寺」に比定されていますが、諸説があり定かでありません。

飛鳥時代創建の法隆寺若草伽藍とはほぼ同時期に建立されたことは確かで、上宮王家との深い結びつきがある寺院です。
斑鳩町教育委員会説明板より


中宮寺を出て駐車場の間を通り、東に抜けると中宮寺東口バス停があります。
そのバス停の道の東側の少し開けた場所の中でも、竹の生い茂る付近に旧中宮寺跡の説明板がありました。
しかし当時の説明板は、表面が剥がれ落ちていて、端の部分は読めなくなっていました。
今は直してあるのでしょうか?
国道25号の中宮寺東交差点から北へ向かい、300mほど行った東側というほうが判りやすいでしょうか。

少し奥まった場所にあるので、気にして歩いていないと通り過ぎてしまうと思います。
私が旧中宮寺跡に行ったのは、近くにあるという事を書籍で知り、探していたためで、知らなかったらきっと通り過ぎていたと思います。

金堂も塔もあったという、創建当時の中宮寺はいったいどんなものだったのでしょう。
法隆寺と周りの雰囲気もあってか、無常観はあまり涌いてきませんでした。
長い歴史を感じた方が強かったですね。


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