法隆寺

2009年05月17日
世界最古の木造建築法隆寺(奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1)です。

境内は金堂をはじめとする主要な伽藍がある西院と、夢殿を中心とする東院に分かれます。
その周辺には平安後期創立の子院を数多く擁します。

法隆寺の草創の事情は、正史『日本書紀』には伝えられていません。
『日本書紀』に法隆寺の名が見られるのは、606年7月に、太子が岡本宮で『法華経』を講じた賞恩として、推古天皇より下賜された播磨国の水田100町を斑鳩寺(法隆寺)に納めた、とあるのがはじめです。

創建を伝える史料として知られているのが、金堂東の間に安置された薬師如来坐像の宝珠形光背の裏面の銘文があります。
これによると、用明天皇が自らの病気平癒を祈り伽藍建立と仏像造立を発願しましたが、これを果たさぬまま崩御したため、607年に聖徳太子と推古天皇がその遺志を継いで伽藍を創建し、薬師如来坐像を造立したといいます。
推古朝の建立であることは確実といわれています。

堂宇の造立年代についても不明な点がありました。
『日本書紀』670年4月30日の、「夜半之後に、法隆寺に災けり。一屋も余ること無し。大雨ふり雷震る(大雨が降り、落雷により法隆寺は全焼した)」という記事の真偽をめぐって、1905年に再建・非再建論争が起きました。

これは、法隆寺は645年の大化の改新以前に使用されていた高麗尺を用いているから焼失・再建論
は事実に反するという様式論者と『日本書紀』に信を置く歴史学者の論争でした。
この論争は、1939年に行われた境内の若草伽藍跡発掘調査によって、一応の終止符が打たれました。
この発掘の結果、塔と金堂の基壇が検出され、西院伽藍の建立以前に四天王寺式の寺院が存在したことが判明したためです。
これにより法隆寺罹災は事実であることが、ほぼ確認されており、現在の西院伽藍は天武・持統朝に着工、和銅年間に竣工したとみられます。

東院は、643年に蘇我入鹿によって焼かれた斑鳩宮の跡地に、行信が739年に創立した上宮王院にはじまります。
上宮王院は法隆寺とはもともと別の寺でしたが、平安末期に法隆寺の管理下に入ったとされます。
東院の中心となるのが八角円堂の建物で、太子の夢に金人が現れて『法華経』の難解な箇所を教示したという伝説から、夢殿と呼ばれています。

金堂の本尊は釈迦三尊像です。
中尊の光背銘には、聖徳太子追善のため、王后、王子らが釈迦像の造立を発願し、623年に止利仏師に造らせたとあります。
北魏様式の影響を受けた飛鳥仏特有の面長な顔、杏仁形の目、仰月形のアルカイック・スマイルを浮かべた唇を備え、正面から拝観されることを前提にした偏平な様式によって造られています。
夢殿の本尊・救世観音像は聖徳太子の等身像と伝えられ、樟の一木造、漆箔の飛鳥仏です。
1884年に岡倉天心とフェノロサによって明らかにされるまで、秘仏として白布に包まれていたため、保存状態がよく、唇の朱なども残っています。
聖徳太子の本より


法隆寺
中門(白鳳時代)
西院伽藍の正門です。
中門の中央に建てられた柱は、法隆寺七不思議のひとつです。


法隆寺1五重塔165  法隆寺2五重塔166
五重塔(白鳳時代)
二重基壇上に方三間、初層のも裳階をもちます。
高さ約32m。
塔内塑像も国宝です。
塔相輪に大鎌が置かれているのも、
法隆寺七不思議のひとつです。

法隆寺3金堂167
金堂(白鳳時代)
白鳳時代の特徴をよく示して、飛鳥様式を色濃く残す日本最古の建築です。
本尊釈迦三尊坐像は、飛鳥仏の代表作です。
光背銘に厩戸王子の冥福を祈って、王后・王子らが止利仏師に造らせたとあります。
王子と等身と伝わります。


法隆寺黒駒調子麻呂377
愛馬黒駒と調子麻呂像

鏡池付近に、創建法隆寺・若草伽藍が建てられていました。
若草伽藍の心礎は公開されていません。

法隆寺版築土塀378
東大門の南へ続く版築土塀

東院は、もともと厩戸王子が住んでいた斑鳩宮があったところです。
宮は王子の死後、蘇我入鹿に焼かれましたが、ここを訪ねた僧行信が王子を供養するために、上宮王院を建てたのが現在の伽藍です。
夢殿は創建当時から残っています。
上宮王家一家滅亡の地。


法隆寺4夢殿168
東院 夢殿(奈良時代・鎌倉時代大修理)
八角円堂。
現存する八角円堂では最も古いものです。
本尊は救世観音で、宝珠を持ち、手・腕をねじった変わった姿をしています。
楠の一本彫りで約2m。
古来、絶対秘仏とされていましたが、明治17年権力で開扉させられました。


法隆寺5舎利殿169
舎利殿・絵殿(鎌倉時代)
王子2歳の春に、掌中から出現したという舎利を安置する建物です。

JR関西本線(大和路線)法隆寺駅からバスか徒歩です。
道は細いわりに車が多いです。
法隆寺駅は南側にしか出られなかったかも…。
法隆寺は北にあるので、東側の踏切を渡り北へ向かいます。
踏切りの道をまっすぐ国道25号まで出ます。中宮寺前交差点です。
国道25号を西へ500m位(法隆寺東交差点も通り過ぎます)で法隆寺前交差点です。
そこからはもう参道ですので、北へまっすぐ歩くと法隆寺の南大門に着きます。

五重塔が遠くからも見えるはずです。
拝観料は1,000円と少しお高いです。
何度も行こうと思うと高いですが、初めての方は是非拝観料を払ってみてください。
私は1,000円でも“いいや!”と思いました。

新選組や幕末で京都のお寺には数えられない程いきましたが、全然ちがう雰囲気です。
落ち着きます。
1300年の歴史の重みより、1300年の間に培われた、人を包み込むような穏やかな空気に覆われている感じがしました。

聖徳太子が建てたのは、この法隆寺ではないのですね。
創建法隆寺といわれる、若草伽藍が聖徳太子建立のお寺のようです。
それは鏡池の近くにあったといわれて、塔心礎が残されています。
いったいどんな塔が建てられていたのでしょうか?
今の法隆寺と同じようなものだったのでしょうか?

1300年以上も前の建築物ですから、謎があって当たり前ですね。
考え方も、生き方も、生活も今と全然違うはずですから、私達から想像も出来ない思想で造ったものも多くあるのでしょうね。

五重塔と夢殿はどうしても見てみたかったのです。
五重塔に置かれた、大鎌は下から見上げました。
なるほど、鎌があります。
宮大工さんが置いたのでしょうが(身も蓋もない言い方ですね 笑)、置いた意図が本当にわかりませんね。
でもあの鎌があそこにあることが重要な気がします。
そういう雰囲気をかもし出しています。

夢殿の御開帳に合わせて行き、本尊を拝見してきました。
聖徳太子と等身といわれていますが、聖徳太子って背が高かったの?と思ったような気がします。
明治17年に、権力にものをいわせ、強引に開扉させられなかったら今も見ることは出来なかったのでしょうね。
今は拝見できて良かったと思いますが、強引な開扉はちょっと許せないものも残ります。
聖徳太子やこの法隆寺に関わってきた人達は、あの世でどう思ってみていたのでしょうか?


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