上之宮遺跡

2009年05月16日
聖徳太子が住んだという、上之宮遺跡(奈良県桜井市上之宮)かもしれない場所です。
上ノ宮遺蹟163  上之宮遺跡2376
5世紀後半から7世紀前半にかけて高い身分の豪族が住んでいたようです。

昭和61年から平成2年までの、発掘調査によって発見されました。
古墳時代後期から飛鳥時代にかけての集落遺跡です。

特に四期とよばれる時代の遺構は、四面庇建物を中心とする掘立柱建物群と、それを囲む溝や柵が、東・南側に作られています。
西側には、半円形の排水溝をともない、方形石組遺構を中心とした園池遺構が造られています。
1辺が約100mの方形区画の中に収まってしまうところから、古墳時代末期から飛鳥時代初期の豪族居館と考えることができます。

この場所では、木簡・琴柱・鼈甲・刀子形や鳥形木製品などとともに、桃・李・棗・柿・栗・梨・紅花などの果実の種子や花粉が出土していて、邸宅内での暮らしぶりが窺われます。

地名や建物の時期、貴重な出土品などから、聖徳太子の上宮(かみつみや)の可能性もあります。
桜井市教育委員会の説明板より


JR西日本桜井線と近畿日本鉄道大阪線の桜井駅を出て、南へまっすぐ1.3㎞の奈良情報商高校の東隣の住宅街の中にあります。
高校を目標に歩いていくと、住宅街の中に関わらず、すぐに見つける事ができました。

用明天皇の宮・磐余池辺雙槻宮の候補地の上方に、聖徳太子の上宮があったそうです。
もしかしたらここに聖徳太子が住んでいたかもしれません。
今、上之宮遺跡公園として残っているのは、その一部ということなのですよね。

聖徳太子という人がどんな人だったかは、絶対にわからないのですね。
幕末の人物なら、“写真”というものが発見される可能性がゼロではありません。
沖田総司や藤堂平助、芹沢鴨など新選組隊士の写真が、どこかで発見される事もありえます。
しかし、聖徳太子の時代に写真は絶対にありえません。
あるとしても肖像画…。その可能性も低いでしょう。

その分、色々な想像力を発揮できるので、近代とはちがう歴史のロマンがありますね。

磐余池辺雙槻宮(いわれいけのべのなみつきのみや)という名称にロマンをかきたてられるのは私だけでしょうか?
私が嵌まるツボは少し人と違うかな?
新選組に最初、興味を持ったのは“菊一文字”という刀の名前でした。
“菊一文字”という響きと、その刀のイラストに嵌まりました。
やはりチョッピリ人と違うかな?


奈良・大和の古代遺跡を掘る奈良・大和の古代遺跡を掘る
(2004/07)
前園 実知雄

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