橘寺

2009年05月12日
聖徳太子生誕地ともいわれている橘寺(奈良県高市郡明日香村大字橘)です。
橘寺1159  橘寺2160
聖徳太子生誕地として知られ、太子建立七カ寺の一つです。
寺地はもと用明天皇の別宮の上宮があった地で、聖徳太子の別称・上宮太子は、上宮で生まれ育ったことに由来します。

600年7月、太子は天皇に請われて『勝鬘経』を講じ、3日で終えましたが、その夜、天から蓮華が降り、翌朝には千の仏頭が南の山上に現れたので、これを瑞祥として、この地に一宇を建立したとされます。
橘寺の正式名は仏頭山上宮皇院菩提寺で、仏頭山はこの瑞祥にちなみます。
このときの蓮華は、本堂の東にある土壇に降ったとされます。
この蓮華塚と呼ばれる土壇は、大化の改新のときに一畝の基準を示したものと伝えられ、別名・畝割塚ともいいます。

756年に光明天皇が丈六釈迦三尊像を安置し、平安時代には東向きの四天王寺式伽藍が完備、堂宇60余を数える大寺となりました。
1146年の雷で五重塔を焼失し、鎌倉期に三重塔を再建しましたが、1506年に多武峯の僧兵と争って焼き討ちに遭い、諸堂宇を失いました。

現在の本堂(太子堂)・如意輪堂(観音堂)などは1864年9月に再建されたものです。
草創当時のものとしては、柱穴が橘の形をした五重塔の心礎が残っています。

他に、本堂南側に奇怪な2つの人面を刻んだ花崗岩があり、二面石と呼ばれています。
善と悪の2つの顔を表したものとされ、謎の石造物の一つとして有名です。
庫裏の中庭に立つ石燈籠は橘寺形と呼ばれています。

橘の地名は、田道間守が垂仁天皇の命で不老長寿をもたらす非時香果(橘)を求めて常世国に赴き、10年後にこれを持ち帰りましたが、すでに天皇は崩御していたため、果実をこの地に植えたという伝説に基づくものです。
本堂には田道間守の像も安置されています。
聖徳太子の本より


伝・板蓋宮跡から南へ向かいます。
明日香郵便局の角で、東に曲がると岡寺ですが、西に曲がります。
200m行くと、飛鳥川が流れています。
橋を渡ってすぐに左(南側)へ曲がると100m少しで橘寺です。

聖徳太子生誕の地といいます。
厩戸皇子といわれるように、厩戸で生まれたといわれています。
宮中の厩戸というのは、この別宮・上宮の事なのでしょうか?
厩戸で生まれたという真偽は置いといて…、この場所で育った事はほぼ史実なのでしょうね。

聖徳太子はどこまでが史実で、どこからが伝説かよくわかりません。
なので余計に古代ロマンをかき立てられます。

自然の中に佇む橘寺は心が和む風景でした。
このままずっと同じ風景を、見続けられる事を願います。
心の休息になります。

さて、本堂や観音堂が再建された1864年というのは、元治元年です。
まさに幕末! 池田屋事件!!
禁門の変もありました!
京都では血で血を洗う事件が起きていた時に、この本堂などが再建されていました。
ならのこの周辺は、幕末の政治とは遠い位置にあったのでしょうか?

大抵の藩は、京都などでそれぞれの方向性で戦い、藩の財政も逼迫していたと思うのですが、お寺の再建をするほどですから、幕末京都とは無縁という事でしょうか?

橘寺では、聖徳太子が育った場所なので、聖徳太子がこの地を歩いていたんだぁ~と、思いを馳せながら、本堂と観音堂を見ながら、池田屋事件と同じ時に建てられた建物、新選組と同時代に誕生した物なんだと、幕末にも思いを馳せることができます。


聖徳太子の寺を歩く―太子ゆかりの三十三カ寺めぐり (楽学ブックス―古寺巡礼―古寺巡礼)聖徳太子の寺を歩く―太子ゆかりの三十三カ寺めぐり (楽学ブックス―古寺巡礼―古寺巡礼)
(2007/09/30)
林 豊

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