豊浦寺跡(向原寺)

2009年05月09日
豊浦寺跡(奈良県高市郡明日香村豊浦)です。
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豊浦寺跡4148
須弥山石に似た浮彫りのある巨石?

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須弥山石に似た浮彫りのある巨石を境内に、門前に大きい礎石を並べています。
豊浦寺は推古天皇のとき、排仏派の物部守屋を倒した蘇我馬子が建てた桜井寺を豊浦宮へ移したものです。
豊浦宮は反対に桜井寺へ移り、小墾田宮と呼ばれました。
小墾田宮は北側にあり、聖徳太子が摂政として斑鳩から通った宮の跡です。

552年、百済の聖明王が贈った金銅の仏像を蘇我稲目が賜り、小墾田の家に安置し、向原寺と名づけたことにはじまります。
日本初の寺院であることから、元興寺とも呼ばれました。

その後、向原寺は桜井に移され、推古天皇が当地を豊浦宮(とゆらのみや)としましたが、603年に宮が小墾田宮に遷るに際し、豊浦宮を蘇我馬子が譲り受けて、現在地付近に移転し豊浦寺としたとつたえます。

近くには、稲目が賜った仏像を物部尾興が捨てた難波の堀江とされる池があります。
その後、この仏像を本田善光が拾って信濃に祀ったのが、善光寺如来であると伝えられています。
聖徳太子の本などより


小墾田宮の説明板がある駐車場の向かいの曲がり角を、南に曲がっていきます。
角には道しるべが建っています。
細い道ですが、日本の原風景とでもいうような、素敵な景色が続きます。

お寺の中に発掘中の史跡があったのか、発掘された史跡があったのかでしたが、私が訪れた時はわかりませんでした。
お寺の横から覗いてみると、それらしきものがあったような…。

聖徳太子というより、その周囲にいた蘇我氏や推古天皇関係の史跡としての方が強いと思うのですが、どうなのでしょうか?
ただまさに聖徳太子と歴史を刻んだことは事実です。

京都のお寺とも違った雰囲気で、静かな境内でした。
落ち着きます。


奈良・大和路―奈良公園・西の京・斑鳩・長谷・飛鳥・吉野 (歩く地図Nippon)奈良・大和路―奈良公園・西の京・斑鳩・長谷・飛鳥・吉野 (歩く地図Nippon)
(2003/03)
あるっく社編集部

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