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福井城跡

2009年05月03日
【また聞き ⑨】

福井城跡(福井県福井市大手3丁) です。
福井城跡316
本丸と二の丸の縄張りは徳川家康によるものとされます。
江戸時代には福井藩主越前松平家の居城、城下町として栄えました。

慶長5年に家康の次男である結城秀康が68万石で北ノ庄に入封されると、翌慶長6年より築城を開始しました。
完成した城は2km四方に及びました。
5重の水堀が囲む本丸には4重5階の天守が建てられていましたが寛文9年に焼失し、以後藩財政の悪化や幕府への配慮などから再建されることはありませんでした。

寛永元年に福井藩第3代藩主松平忠昌によって、「北」の字が不吉であるとして「北ノ庄」のから「福居」に改名され、さらに後に「福井」と改名されました。(改名の経緯に関しては諸説有り。)

本丸北西隅に天守曲輪と天守台の2段の石垣をついて望楼型4重6階の天守が建てられました。
白漆喰総塗籠の外壁仕上げで、最上重には、外廻り縁高欄と西面に向唐破風があり、元和大坂城天守に見られるような配置に破風が並べられていました。

寛文9年に焼失した後は、同じように類焼した本丸南西隅の2重巽櫓を3重に再建し天守の代用としています。
古写真では、複合式望楼型で1重目と2重目の窓が上下にあることから、3重5階の櫓であったと見られています。

現在は外堀は埋められていますが、石垣、内堀などの遺構が残り、本丸跡には福井県庁、県会議事堂、県警察本部などがあります。
本丸御殿の一部は(市内足羽5丁目)瑞源寺本堂及び書院に移築されています。
また、天守台のそばには「福井」の由来となった「福の井」という井戸が残っており、この井戸には場外へ通じる抜け道があるとの言い伝えがあります。
Wikipediaより


JR北陸本線福井駅、えちぜん鉄道勝山永平寺線福井駅、福井鉄道福武線市役所前駅および福井駅前からすぐのところです。
本丸跡に県庁がありますが、地図で見るとお城の真ん真ん中に県庁があることになりますね。
県庁職員さんは、城勤めということですね。

この写真ではよくわかりませんが、調べてみると、県庁や県警察本部などもありますが、お城の遺構も残っていて、城跡としても楽しめそうです。
福井の由来となった「福の井」は見てみたいです。


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(2004/10/20)
編集部

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