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丹波篠山城-天守台

2009年04月17日
丹波篠山城(兵庫県篠山市北新町2-1)の天守台跡です。
丹波篠山城2
慶長14年、徳川家康は、松平康重(家康の実子説あり)を常陸国笠間城から丹波国八上城に移し、新城の築城を命じました。
山陰道の要衝である篠山盆地に城を築き、大坂の豊臣氏をはじめとする西国諸大名のおさえとするのが目的であったとされます。

篠山盆地中心部の丘陵である笹山を築城地と定め、
藤堂高虎が縄張を担当しました。
普請総奉行を池田輝政が務め、15ヶ国20の大名の助役による天下普請により6ヶ月で完成しました。

築城当初より天守台はありましたが、天守は建設されませんでした。
石垣や堀をはじめとする城の造りがあまりにも堅固すぎ、幕府が懸念したためと言われています。
以後、松平三家八代、青山家六代の居城として明治を迎えました。

明治維新後、城郭の遺構は大書院を残してほとんどが取り壊されました。
残っていた大書院も昭和19年1月6日に失火により焼失してしまいました。

天守台は本丸の東南隅に位置します。
広さは、東西約18m、南北約20m、本丸からの高さ約4mです。
天守台南東隅に2間四方・単層の隅櫓を配置し、残りの南東面には土塀を巡らせてありました。
本丸には御殿は築かれていませんでした。
Wikipediaなどより


写真の左奥に見える一段高い場所が天守台跡です。
そして右奥に見える山が八上城です。
天守台跡の広さはそれほどありませんでした。

もともと天守がなかったので、この場所に関してはあまり変化はないのかもしれません。
これほど何もない場所ではなかったでしょうが、立派な建物は無かったのではないでしょうか。
明治維新後は、多くの城が取り壊しとなってしまい本当に残念です。
幕末維新を生き残った城が取り壊される事なく、今日まですべて残っていたのならば、とっても嬉しい事なのですが。
どこに行ってもお城だらけだったかもしれません。

篠山城に関しても、残っていた大書院が失火で焼失ですか。
凄く残念です。
失火というのがなんともいえません。
それも昭和になってから…。
落雷など、自然相手なら諦めもつきやすいのですが、失火というと人間の不注意ですものね。


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