伊賀上野城

2009年04月15日
伊賀忍者で有名な伊賀市にある、伊賀上野城(三重県伊賀市上野丸之内106)です。
伊賀上野城262
上野城は、三重県伊賀市上野丸之内(上野公園)にあった平山城です。
白鳳城、伊賀上野城とも呼ばれます。

天正13年、大和郡山から移ってきて伊賀を拝領した筒井定次により、天正伊賀の乱で焼け落ちた平楽寺の跡に築城されました。
天守は3層であったといわれますが、史料は残っていません。
城代屋敷の北東隅に筒井時代の天守があったと考えられています。

しかし定次は、かねてから不行状で島左近などの重臣に多く出奔されており、慶長13年、徳川家康の命により改易されられました。
その後伊予・宇和島から築城の名手とされる藤堂高虎の持ち城(本拠地は伊勢国・津城)となり、城の大改修が行われました。

改修は豊臣討伐に備えて堀を深く、石垣も高くし、南に二ノ丸を構築しました。
天守の位置を西側に移動し、今治城天守を移築しようとしましたが、天下普請となった丹波亀山城に献上したため新規に5層天守を建設しました。
竣工をひかえた慶長17年に嵐のため天守は倒壊しその後、豊臣氏の滅亡で堅固な城が必要なくなったのに加え、武家諸法度による新規築城や改修の規制により江戸時代を通じて、本丸・二ノ丸などの主要部分は城代屋敷を除いて再建されることはありませんでした。

文政8年、藤堂高猷が最後の城主となりました。

城の近隣には、松尾芭蕉を祀る俳聖殿や芭蕉翁記念館があるほか、伊賀流忍者博物館があります。
長年日本一といわれてきた、藤堂高虎の高さ約30mの石垣や三重県立上野高等学校敷地内に武庫が現存し、米倉は博物館の一部として上野公園敷地内に移築現存しています。
現在、天守台にある3層3階の天守は昭和初期築の模擬天守で、正式には伊賀文化産業城といいます。
Wikipediaより


伊賀鉄道上野市駅の真北すぐの所にあります。
遠方からだと、JR関西本線伊賀上野駅から国道163号を南に2㎞歩くのもいいかもしれません。
伊賀上野駅からは、伊賀鉄道にも乗れるので、伊賀鉄道に乗り換えて上野市駅にいくという方法もありえます。

大坂城や姫路城と比べると小さいお城、というのが第1印象でした。
近くを車で通った時に、遠くから見える姿は綺麗です。

伊賀上野というと、お城よりも“忍者”を思い出します。
服部半蔵は時代劇にも出てきて、おなじみの忍者です。
実は山を一つ越えれば、甲賀の里で甲賀忍者の拠点なのですよね。
日本を代表するような、伊賀と甲賀が隣同士だなんて…。
敵対しているのに隣同士だと、どれだけ争いが起こったのか…と、しかし、実は仲良しだったようです。
仲良しは言葉が変ですね。
でもお隣さんとして協力関係もあり、良い関係だったようです。

どんな山の中にあるのかと思っていたら、今はすっかり都会です。
ごく普通の現在の城下町でした。
最後の藩主が文政時代ですから、幕末当時は伊賀上野城は独立していませでした。
当時は津藩の領地だったようです。
津藩は橋本での裏切り行為で私の中に残っています。
藩主や幹部の人たちは随分と苦悩したようです。
時代の流れが速く、ゆっくりと熟考する時間もなく、即断を迫られるというのは辛い事だったでしょう。

津藩
外様。
幕命によって天誅組の乱、禁門の変、第1次征長に出兵し、幕府への忠勤を励みました。
第2次征長には、藤堂帰雲を総督として河内、摂津へ2,600余名の藩兵を出陣させました。
鳥羽・伏見の開戦には、山崎の関門を守っていた津藩は幕府側から援軍を要請されましたが、その進退に迷っていました。
5日、勅使四条隆平から勅書を下されて帰順を迫られた山崎関門のの総帥藤堂采女は、藩主の指命を受ける余裕のないまま意を決しました。
翌日、淀川を挟む対岸の橋本八幡の幕軍へ砲撃を開始、徳山藩、岩国藩兵とともに川岸へ出て交戦しました。
味方と信じていた津藩の離反によって衝撃を受けた旧幕軍の士気は奮いませんでした。

さらに、大村、佐土原、鳥取、岡山、熊本の諸藩とともに桑名藩討伐を拝命、梶原左近率いる433人の藩兵が正月28日、桑名へ入りました。
その後、藤堂仁右衛門を総帥とする藩1,148人が東征軍に加わり。江戸から総州の旧幕軍の追討、上野戦争へと活躍し、さらに磐城平城攻撃、浪江、椎木、今泉村の各地で奮戦しました。

10月6日、藤堂仁右衛門軍と仙台で交替した藤堂豊前の828人は11月、石巻方面を掃討しながら秋田へ入り、江戸から後続の高市第3隊が明治2年、蝦夷地五稜郭で戦いました。
幕府への恩義を重んじて公武合体を眼目にしてきた藩主藤堂高猷は、鳥羽・伏見から五稜郭まで戦わざる得なかった時流の中で苦悩し続けたといいます。
幕末維新史事典より

伊賀上野を訪れたのであれば、松尾芭蕉や忍者屋敷など訪れてみてください。
松尾芭蕉の生家がお城の近くにあります。
国道25号沿いの農人町交差点の少し手前(お城側)にあります。
松尾芭蕉は伊賀生まれで、忍者だったのでは?という話もあるようです。
奥の細道のあの工程を、あの日数で歩くのは驚異的だとか…?

幕末に直接関係するものは少ないですが、忍者や松尾芭蕉など、歴史好きには多少なりとも興味があるのではないでしょうか。


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Comment
官軍
福島県の相馬藩に生まれましたが、官軍と言う名は、この歳になっても何故か避けて通ります。新撰組が死ぬより好きなのですね。私もかっては好きでした。
新選組一色になっていたのは、もう少し前でしたね。
実際に物が燃える時、最初に“ボッ”と燃え上がりますが、そのような時期でした。
今は、安定して燃え続けている感じでしょうか。

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