彦根城-遠城謙道之碑

2009年04月09日
彦根城(滋賀県彦根市金亀町1-1)内の遠城謙道之碑です。
遠城謙道1  遠城謙道2
遠城謙道は、旧彦根藩士で通称遠城平右衛門といい、文政6年(1823年)に彦根で生まれました。
15歳で鉄砲隊に入りましたが、藩医「堀田道策」に医術を学んだのを始め、儒学や画も学ぶなどし、特に禅の修業を積んだことで武士の魂を磨きました。

桜田門外の変で、大老井伊直弼公の横死の後、悲憤の余り主君の旧恩に報じようと同志と謀り老中に抗弁するも、果たすことができませませんでした。
追い腹は犬死と判断し、僧となり墓守を勤める決心をし、井伊家菩提寺の清涼寺「俊竜和尚」の元で仏門に入り、名を「謙道」と改めました。

慶応元年、妻と6人の子供を残した謙道は、江戸における井伊家の菩提寺、豪徳寺(東京都世田谷区)に移り、直弼公の墓側に庵を建て終生掃墓、読経をし、37年間霊を慰めました。
説明看板より


井伊直弼にこんなに忠誠を誓った人がいたとは、全然知りませんでした。
井伊直弼の菩提を弔うために、妻子を捨てて仏門に入るのですか。
武士の妻として、妻も我慢したのでしょう。
子供達も“武家”として我慢したのでしょう。
奥方や側室など女性が、夫の菩提を弔う…は、よく耳にします。
夫が妻の菩提を弔うために…も、聞かないという話ではありません。
でもこれは、夫婦という生活をともにする人間関係です。
主君のために…、ない事は無いでしょう。
でも、現代人の私には、納得はいかないですね。

何も家庭を捨ててまでも、仏門に入らなくてもいいのでは?
赤穂浪士のように仇討をするなら、是非はともかく「そうかぁ~。」と思うのですが。
今なら家庭を捨てなくても、菩提を弔う手立てはあると思うのです。
当時はその手立ては無かったのでしょうか?

この碑は偶然見つけました。
遠城謙道という人は、初耳だったのですが、彦根城に関係しているという事は確か。
それに慶応という文字を見つけたので、これは幕末の彦根城に関係しているなと、写真を撮っておきました。
撮っておいて良かったです。


[滋賀]滋賀銘菓琵琶湖薄皮饅頭[滋賀]滋賀銘菓琵琶湖薄皮饅頭
()
不明

商品詳細を見る


彦根城
関連記事
Comment

管理者のみに表示