西宮砲台

2009年03月29日
勝海舟の計画による西宮砲台(兵庫県西宮市西波止町西波止5374の1)です。
西宮砲台
国防不安を感じた江戸幕府は、勝海舟の建策をいれて大阪湾沿岸に砲台を築きました。
西宮砲台はそのひとつです。
文久3年に着工し、完成は慶応2年下半期でした。
石造三層の円堡で、内径約17m、高さ約12m、壁厚1.21m(1階底部1.53m)。外部は厚さ9㎝で油石灰5遍塗、上塗薄墨色塗。上塗りの色調は迷彩でしょうか。
1階床叩土、中央に井戸を掘り、一部を弾薬庫(床板敷)に当て、2階木造、側面に砲眼11個と窓1個を開き、大砲2門をすえて、筒口を四方に向ける装備でした。
空砲を試射したところ、砲煙が堡内に立ちこめ、実用に向かなかったといいます。
幸い使用に至らずして明治維新を迎えました。

その後、明治17年火災のため内部の木造構架を焼失しましたが、石槨部分はなおよく築造当時の面影をとどめ幕末の世相を偲ぶことができます
しかし内部に入ることはできません。
昭和9年の室戸台風による被害のあと屋根の復元工事を行い、また昭和49年から50年にかけて鉄骨による石槨の補強工事を施工、かねて外装を整えました。
Wikipediaより


阪神電鉄香櫨園駅の下を流れる夙川に沿って、海まで下って行きます。
海に面して香櫨園浜が広がっていますが、その浜の東端に旧西宮砲台が建っています。

砲台は西宮と今津に造られたそうです。
今津の方は神社に記念碑が建てられているそうです。
今度行って見ないと。

私がここを訪れたのは、妹が車の免許を取って、ようやく少し慣れてきた頃でした。
ドライブしたいというので、私が「西宮砲台に連れて行って」と言った記憶があります。
私は免許がないので、横に乗っていてもそれが、危うい運転なのか上手な運転なのかわかりませんでした。
だから横に乗っていられたんだと、後になって友人にいわれました(笑)
そんな感じで西宮砲台に行ったので、周りの様子などはあまり覚えていません。

砲台跡のすぐ後ろが防波堤で、砲台跡の周りに草が生えていたのは覚えています。
また、もう少し東にはヨットハーバーがあり、ヨットが多く係留されていた風景はありました。

今、西宮砲台の前海には、昭和50年頃から埋立て造成された西宮浜があります。
なので今、この砲台から攻撃してもほとんど意味がなくなっています。
それにしても、試し撃ちをしたら内部が煙だらけになって、何も見えなくなっては明らかに設計ミスというのか、技術が伴っていませんね。
東京の第三台場を「無意味」と言い切った勝海舟が建策した砲台なのですから、大いに期待があったはずなのですが…。

台風の後に復元工事をされたのなら、中に入れるように補強工事などもしてもらえると嬉しかったのに…。
外からだけしか見られないのは、とても残念です。
新選組が直接関係していなくても、幕末のからある建物です。
それにしても、江戸時代に形だけは近代的な、こんな建物をよく思いついたと感心します。


輝け甲子園の星 2009早春号 (2009) (NIKKAN SPORTS GRAPH) (NIKKAN SPORTS GRAPH)輝け甲子園の星 2009早春号 (2009) (NIKKAN SPORTS GRAPH) (NIKKAN SPORTS GRAPH)
(2009/01/31)
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幕末 砲台
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