浅川-石田散薬(牛革草)

2009年03月28日
浅川(東京都日野市)です。
多摩川
浅川だと思います。多摩川ではないはず…。

多摩川は、山梨県・東京都・神奈川県を流れる多摩川水系の本流で一級河川。
全長138km、流域面積1,240km²。


浅川は、東京都八王子市および日野市を流れる一級河川。多摩川の支流のひとつです。
東京都八王子市・神奈川県相模原市の境目にある陣馬山(857m)や堂所山(731m)に源を発し東へ流れ、日野市石田付近で多摩川に合流します。
小仏峠を源流とする南浅川の合流地点(八王子市役所付近)より上流を通称として北浅川と呼びます。。
八王子市楢原町付近(中央自動車道の架橋下付近)の流域では、メタセコイヤの化石や象の一部の化石が発見されています。

流路の長さに比べて川床が高く傾斜が急なため、度々氾濫し流路を変えてきました。
たとえば日野市の新井橋を挟んで両岸に新井という地名がありますが、これは浅川の流路変更によって分断されたためです。
かつての浅川は今よりももっと南を流れており、多摩川との合流地点も、もっと下流の関戸橋付近にあったことが知られています。


<石田散薬>
土方歳三生家が代々、宝永年間から伝える骨接ぎ、打ち身の妙薬です。
原料は多摩川、浅川などに野生する牛革草(みそそば)を土用の丑の日採取、陰干しにして、のち、黒焼きにして粉にする。
服用の際には必ず酒で飲む。

これと同じ原料と製法の「虚労散」は、佐藤彦五郎家家伝のものですが、これは白湯で服用します。
両薬とも新選組の常備薬でした。

「虚労散」は肺病の薬です。
石田散薬原料の牛革草は、当時、村総出で採集されました。
その時は、まるで戦争のような騒ぎで、その大勢の人々を指揮したのが土方歳三で、采配は見事だったといいます。
その薬を売り歩いたのも土方歳三でしたが、成績はあまり芳しくありませんでした。
販売先は、武州・相州20里四方に及び、甲州にまで渡るといわれています。

土方家に現在、当時の卸先台帳が保存され、また薬を売り歩いた薬箱、薬つぼ(木製。京都から歳三が送ってきたもの)などがあります。
第二次世界大戦過ぎまで石田散薬は売られていました。

本当に薬効があったかは疑わしく、昭和23年、薬事法改正に伴う製造販売許可申請において、厚生省は「成分本質効能に関する客観性のある科学的調査研究がなされていない」として石田散薬に限らず、黒焼き全ての薬効を認めないという方針を示しました。
しかし、「石田散薬しか飲まない」と言って聞かなかった老人もいました。
今でも土方歳三資料館には製造中止した頃の石田散薬が僅かに残っていますが、土方家の人は「古く怖くて飲めない」と言っています。

また、牛革草自体はリューマチ、止血、鎮痛に効果のあるれっきとした薬草ですが、石田散薬は黒焼きにしたため薬効が台無しになってしまったと考えられます。
新選組大事典&Wikipediaより


写真は京王線高幡不動駅から、日野市石田の“石田寺”へ向かう途中に撮りました。
なので多摩川ではなく、浅川だと思います。

牛革草は多摩川、浅川に生えているようですね。
こんな河原で土方歳三が指揮を執って、採集をしたのかと想像すると、戦場のようだといいながらも平和で長閑な風景が浮かびます。
私も土方歳三の指揮下で、採集作業に参加してみたいです。
土方歳三に見惚れて、作業がはかどらないかもしれません。
一刀両断されるかも…。

ここで石田散薬作りを手伝い、行商していた頃に戻りたいと思ったことは無かったのでしょうか。
箱館で命を落とすことになっても、駆け抜けた人生の方が望んだ生き方だったのでしょうか。
き歴史の中に身を置いた人生の方を選んだ事に満足してそうですよね。


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