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大林院跡?

2009年03月25日
大林院跡(千葉県市川市)については、諸説あるようです。
(流山付近5)
私が千葉の史跡巡りに連れて行って貰った時に、このあたりに大林院があったようだと教えてもらって撮った一枚…だと思います。
雨が降り、日は落ちて真っ暗、とりあえず片手でカメラのシャッターを押したのがこの写真です。
市川市市川1丁目付近だったかな?

水戸佐倉道分間延絵図から、だいたいの位置を推測するそうです。
絵図では「大林房」。現在は普通の住宅地になっているそうです。
歴史博物館では、この普通の住宅地の説のようです。
すぐ南側には手児奈霊神があります。
すぐ北には弘法寺があります。

大林院跡(千葉県市川市市川1丁目24-2)
新政府軍に抗戦するため市川に集結した旧幕臣たちが、慶応4年4月12日に軍議を開いた寺です。
前日から国府台(鴻ノ台)に総寧寺に屯集していた1,400人の兵に加え、この日、旧幕府歩兵奉行の大鳥圭介が1日遅れて、市川宿に到着しました。
大鳥の率いる伝習隊(小川町大隊)は約600の軍勢で、旧幕府脱走軍は合計2,000人余の兵力にふくれ上がりました。

当日の軍議では、全軍を指揮する総督として大鳥圭介が選出され、土方歳三も参謀に就任しています。
新選組隊士は7名しか参加していないのですが、こうして抜擢されたのは、新選組副長として活躍した京都時代の実績が評価されたようです。
また、軍議の結果、全軍は前、中、後の三軍に分けられ、前軍は会津藩士秋月登之助および土方が率い、中、後軍は大鳥直接指揮を執ることになりました。
12日のうちに全軍は市川を出発し、宇都宮、日光方面へ進軍を開始しました。

大林院は、現在廃寺となって建物は残っていません。
市川市真間4丁目の弘法寺の塔頭であったといいますが、弘法寺にも当時の記録や伝承が残されていません。
大林院跡地は、市川市西消防署が建てられています。

土方歳三写真集では、市川市西消防署脇の自然幼稚園前の公園付近を、新選組史跡事典では、市川市西消防署が写真で紹介されています。
新選組史跡事典&土方歳三写真集などより


市川市西消防署と自然幼稚園前の公園を大林院跡として訪れるならば、
JR総武本線市川駅北口を出ます。国道14号を右に曲がると、左斜め前方に西消防署の高い建物があります。
その横の道を入ると、幼稚園前の公園があります。

弘法寺(千葉県市川市真間4丁目4)の辺りに行くならば、JR総武本線市川駅西端から伸びる道をまっすぐ北に直進します。約1㎞、本当に直進のみで弘法寺です。

軍議が開かれ、土方歳三も参加。
参謀に就任しているというと、新選組の史跡としては第一級の史跡ではないですか。
それなのに私の記憶は曖昧すぎです。
反省。それ以前に口惜しいです。
ちゃんとメモを取るなりしておかなかった自分がイヤになります。

写真の場所も不明ですが、お寺に行った帰り道で、駅に向かう途中だった記憶があります。

範囲としてはそれほど広い範囲ではなく、ある程度の範囲で大林院があった場所は推測されているようです。
流山周辺については、確定されている事柄が少ないですね。
近藤勇の陣屋さえも確かなものではありませんでした。
新選組が一番混乱していた時だったのでしょう。
一つ一つを記録に留める間もなく、次から次へと状況が変化していったのでしょう。
その土地に人たちも、いろいろと起こり過ぎて知りえた時には、もうそれは過去のものになっていたのかもしれませんね。

少しずつでも新しい事実がわかればいいのですが。


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