光明院-新選組駐屯地跡

2009年03月22日
新選組が駐留した光明院(千葉県流山市流山6-651)です。
光妙院1  光妙院2
慶応4年4月2日、五兵衛新田から流山に入った新選組の隊士が駐留した場所です。

4月3日、春日部から流山に向かった新政府軍大軍監香川敬三の東征軍部隊は彦根藩二小隊・須坂藩一小隊・岩村田藩一小隊、旗本岡田家(5,000石)の一小隊で編成されていました。
美濃国揖斐の地頭である岡田将監家の一小隊が東征軍の一員として、流山に入り、その隊士だった富田重太郎の日記『官軍記』によって、新選組の駐留が明らかにされた場所です。

富田は新選組の本陣を「味噌屋舗」として、ほかに「称名院」にも屯集していたと書いています。
『復古記』で伝えられている分隊の武器を押収した場所が「称名院」となります。
流山市内で「称名院」という寺院は、
①流山村の赤城山信楽寺光明院
②鰭ヶ崎村の守龍山証明院東福寺 の2つが考えられます。
光明院は、江戸川の流山河岸に近く新選組本陣「長岡屋」とは南方500mの位置で、山門には「光明院」とあります。
東福寺の方は、新選組本陣より東南3㎞の小高い位置にあり「守龍山」と揮毫の額が掲げられています。
五兵衛新田当時の新選組の布陣と、田中陣屋の占拠という目的からみて、「光明院」を指していると思われます。

光明院は、小林一茶ゆかりの秋元双樹の連句碑があり、東福寺には左甚五郎作といわれる「目つぶしの鴨」があります。

分隊は、近藤勇の捕縛後も居残りました。
しかし、土方の近藤勇釈放の工作が失敗し、6日に利根川あたりの布佐(千葉県印西市)へ向かって出発しました。
新選組史跡事典より


総武流山線流山駅からだと少し遠いようですが、近藤勇陣屋跡を通って行きたいと思います。
総武流山電鉄流山駅を出ます。流山駅前交差点を越えてもう一本西の交差点を南に曲がります。
ひとつめの交差点を西に入ったところに、“近藤勇陣屋跡”とかかれた石碑があります。
そのまま西方向に通り抜け、次の交差点を南に折れて歩いていきます。
キッコーマンの工場を通り過ぎ、流山5交差点も通り過ぎ、川沿いの道を800mほど行くと、光明院があります。

曇り空の今にも降りそうなお天気でした。
お寺はすぐにわかりました。
前は住宅街で、静かな場所でした。向こうは江戸川ですので、建物が目に入らないので広く思いました。実際、隣の墓地を見ると広いお寺のようです。
しかし私達が訪れた時は、お葬式が執り行われるようで、お葬式の準備の真っ最中でした。
さすがにお葬式をお邪魔してはいけませんので、この山門のあたりで失礼してきました。

写真だけは…と、お葬式の様子が写りこまないように撮ったため、斜めの写真や、遠距離の写真になっています。

この場所も確定されているというのではないようです。
それも訪れた時点では知りませんでした。
近藤勇陣屋と同じように、光明院も新選組が駐屯したとのみかかれています。

この門の前に立った時は、正直お葬式があって残念に思いました。
新選組に直接関係する史跡なので、本堂の前ぐらいまでは行ってみたかったです。
当時、これだけの墓石がまだ建っていなければ、広かったでしょう。
敗走している新選組ですから、隊士の気も荒くなっていなかったのでしょうか?
それともシュンとしていたのでしょうか?

土方さん頑張れ!


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