多磨霊園-参考

2009年03月27日
多磨霊園(東京都府中市多摩町4)の幕末関係のお墓です。

阿部正外の墓(6区1種5側1番) 白河藩7代目藩主。生麦事件の解決にあたりました。明治20年4月24日病没。享年60歳。昭和2年に台東区西福寺より改葬されました。

安藤直裕の墓(4区1種14側) 和歌山藩付家老・田辺藩主。明治18年4月4日死去。享年65歳。千代田区麹町栖岸寺より改葬されました。

池田慶徳の墓(1区1種1側3番) 鳥取藩12代目藩主。京都で急性肺炎のため明治10年8月3日死去。享年41歳。墨田区興福寺に埋葬されましたが、関東大震災後、敷地の一部が隅田公園となるため強制疎開を命じられ、大正13年8月に改葬されました。

大石団蔵の墓(22区1種5側11番) 土佐郷士。土佐勤王党。吉田東洋暗殺。のち薩摩藩邸に移り、奈良原家の養子となり、薩摩藩士高見弥市と改名。明治29年2月28日病没。享年66歳。最初、鹿児島市草牟田に葬られましたが、昭和2年に改葬されました。

大久保一翁の墓(11区1種2側3番) 幕臣。若年寄。自分が没する15年前に墓を建立し、明示21年7月31日死去。享年72歳。青山霊園に葬られましたが、道路拡張のため昭和12年に改葬されました。

小笠原忠忱の墓(2区1種4側11・12番) 小倉藩主。父親の死を秘匿し、喪を公表して家督を相続した時は5歳で香春藩主となりました。東京府市谷の自邸において明治30年2月5日死去。享年36歳。第二次世界大戦後、浅草海禅寺より改葬され、巨大な合葬碑となっています。

狩野良知の墓(8区1種13側21番) 秋田藩士。明治39年12月14日病没。享年78歳。

河田左久馬の墓(11区1種12側) 鳥取藩士。赤坂で明治30年10月12日死去。享年70歳。青山の梅窓院より改葬されました。

川村純義の墓(11区1種2側6番) 薩摩藩士。薩英戦争で英軍捕虜となりました。坂本龍馬が裏書した薩長盟約の条文を村田新八と長州に届けました。会津の白河口の戦いで猪苗代湖口の十六橋を占領。明治37年8月12日死去。享年69歳。青山霊園より改葬されました。

黒木為の墓(8区1種2側1番の2) 薩摩藩士。旧姓帖佐。肺炎のため東京市青山の自宅において大正12年2月3日午後10時死去。享年80歳。墓碑には4日と刻まれています。

小泉信吉の墓(3区1種17側3番) 和歌山藩士。維新後官立開成学校教授。大蔵省や慶応義塾の塾頭を務めました。明治27年12月8日死去。享年46歳。

児玉源太郎の墓(8区1種17側1番) 徳山藩士。献功隊半隊司令。維新後は陸軍大将。明治39年7月24日病没。享年55歳。

西園寺公望の墓(8区1種1側16番) 公家。権中納言。昭和15年11月24日死去。享年92歳。世田谷区の西園寺家墓地より改葬されました。

西郷従道の墓(10区1種1側1番) 薩摩藩士。隆盛の実弟。寺田屋事件に参加して謹慎。胃癌のため明治35年7月18日死去。享年60歳。西郷家は代々、名前を従(じゅう)と読ませています。

酒井忠美の墓(4区1種21側) 勝山(加知山)藩主。大正12年3月13日死去。享年66歳。昭和2年11月、貝塚青松寺より改葬されました。

柴山愛次郎の墓(10区1種13側37番) 薩摩藩士。道隆。兄は良助、弟は矢八。寺田屋事件で鎮撫使の山口金之進に斬られました。文久2年4月23日死去。享年27歳。

柴山良助の墓(10区1種13側37番) 薩摩藩士。弟愛次郎が寺田屋事件に連座したため謹慎帰藩。慶応3年の薩摩藩邸焼き討ちの弁明に努めましたが伝馬町の牢に投獄されました。慶応4年1月9日、短銃で自殺。享年35歳。墓は戊辰戦争に従軍した三男の矢八の墓域にあり、右側が矢八、左側が良助・愛次郎です。

進藤俊三郎の墓(7区1種5側9・10番) 但馬国佐嚢村佐中農民。原六郎。但馬農兵を組織。生野挙兵に参加。長州遊撃隊に入り小倉戦争に参加。戊辰戦争では山国隊司令士。熱海の別邸で昭和8年11月14日死去。享年92歳。墓は原家之墓と刻まれていて、20年ほど前に品川邸から移した銅像が建てられています。

長三洲の墓(12区1種17側22番) 儒学者・奇兵隊士。長谷主馬・炗。東京において明治28年3月13日死去。享年63歳。

長梅外の墓(12区1種17側22番) 医者・儒学者。南梁。東京において明治18年10月28日病没。享年76歳。長家の墓は青山霊園より改葬されました。

土井利恒の墓(1区1種2側8・9番) 大野藩主。明治26年3月29日死去。享年46歳。
最初、浅草誓願寺に葬られましたが、昭和3年9月30日付で大野市善導寺と併せて11名が改葬されました。同区4側1・2番の敷地は分家の墓です。

東郷平八郎の墓(7区特種1側1番) 薩摩藩士。戊辰戦争、宮古湾の海戦などに参加。日露戦争で名を馳せ元帥となりました。昭和9年5月30日死去。享年88歳。

徳大寺実則の墓(8区1種1側1番) 堂上公家。明治天皇が崩御されるまで侍従長。大正8年6月4日死去。享年81歳。谷中墓地より改葬されました。

本多忠民の墓(3区1種25側) 岡崎藩主。老中。東京の森川邸にて明治16年1月29日死去。享年67歳。菩提寺は浅草の誓願寺でしたが、関東大震災により焼失。府中市紅葉丘へ移転したさい、檀家の墓は多磨霊園に移されました。

本多康穣の墓(12区1種3側1・2番) 膳所藩主。脳溢血で明治45年2月28日病没。享年78歳。昭和10年3月3日に豊島区染井霊園より改葬されました。

松平直哉の墓(10区2種16側8番の2) 母里(もり)藩主。明治33年1月3日死去。享年53歳。港区天徳寺より改葬され、合葬墓が建てられました。

間部詮勝の墓(4区1種29側) 鯖江藩主。大坂城代。京都所司代。老中。明治17年11月28日死去。享年81歳。最初、花川戸九品寺に葬られましたが、関東大震災後の都市計画により、同寺の墓域はすべて多磨霊園に移されました。

渡辺国武の墓(14区1種1側10番) 高島(諏訪)藩士。第二次伊藤博文内閣の大蔵大臣と逓信大臣。子爵。大正8年5月12日死去。享年74歳。
幕末維新江戸東京史跡事典より


西武多摩川線多磨墓地前駅の西側すぐです。

多磨霊園は大正12年に開園されたようなので、こちらに改葬されたお墓が多いようです。
東郷平八郎が埋葬されたことで、多磨霊園が有名になったそうです。
東郷平八郎は日清・日露戦争の頃の人で名前は聞いていましたが、薩摩藩士だったのは知りませんでした。
さらに戊辰戦争や宮古湾攻撃にも参加していた事は驚きでした。
幕末維新関係者でもあったのですね。
歴史を見ていると、アッと驚くことばかりです。
関連記事
Comment
大久保一翁の墓所移転について
大久保一翁の周辺に関心があるのですが、質問させていただきます。
・一翁は生前に墓石を建てていた
この件に関しての典拠がどこにあるのかご存じですか?
・墓所の移転について
移転したことは分かっているのですが、その原因が道路拡張がと書かれています。市区改正に伴うものかと思うのですが、こちらの典拠も、ご存じでしたらお教えください。
以上、よろしくお願いいたします。
Re: 大久保一翁の墓所移転について
お返事が遅くなり申し訳ございません。

私は「幕末維新江戸東京史跡事典」を参照に書いたのですが、そこには典拠のことは書かれていませんでした。
お力になれずすみません。
他の書籍でわかればまた、ブログかなにかわかる形でお知らせさせていただきます。
ありがとうございます
「幕末維新江戸東京史跡事典」ですね。
見てみます。ありがとうございました。

管理者のみに表示