染井霊園-参考

2009年03月23日
染井霊園(東京都豊島区駒込5-5・7-2~4)の幕末関係のお墓です。
染井霊園は明治5年11月に開かれました。
もと播州林田藩建部家と津藩藤堂家の屋敷跡です。

私はまだお参りする機会がないのですが、参考に書き出しておきます。

井上正直の墓(1種イ8号6側) 遠江浜松藩藩主。文久・慶応年間に老中を務めました。明治37年死去。享年68歳。正三位。子爵。

井上正順の墓(1種イ7号6側) 下総高岡藩藩主。明治37年1月6日死去。享年51歳。

小河一敏の墓(1種ロ1号4側) 豊後岡藩士。東京深川の自宅で明治19年1月30日病死。享年74歳。正五位。勲五等。

酒井忠績の墓(1種イ4号16側) 姫路藩藩主。文久3年に老中上座、慶応元年に大老。明治28年11月30日死去。享年69歳。墓の左側に顕彰碑が建っています。

酒井忠惇の墓(1種イ4号8側) 姫路藩藩主。慶応3年老中上座。姫路城は無血開城。明治40年11月10日死去。享年69歳。

宍戸璣の墓(1種イ3号1側) 長州藩士。吉田松陰の兵学門下生。明治34年10月1日死去。享年73歳。子爵。

下岡蓮杖の墓(1種ロ6号5側) 写真師。慶応3年横浜弁天町に写真館を開業。大正3年3月3日死去。享年92歳。

坪井信良の墓(1種イ8号6側) 医師。福井藩主松平慶永に招かれ、藩侍医および教授。安政4年、将軍の奥医師となり、家定、慶喜に侍しました。明治37年11月9日死去。享年82歳。

藤堂高猷の墓(1種ロ4号8~12側) 津藩藩主。明治28年2月9日死去。享年83歳。
津藩下屋敷は現在の駒込4、5丁目、巣鴨2丁目と文京区駒込6丁目の一部にありました。染井霊園もその中に含まれています。

徳川昭武の墓(1種イ5号14側) 水戸藩藩主。徳川斉昭の18男。徳川慶喜が実兄。本所の屋敷で明治43年7月3日死去。享年58歳。
茨城県常陸太田市の瑞龍山に埋葬されました。


戸田光則の墓(1種イ2号9側) 信濃松本藩藩主。明治25年死去。享年65歳。

土方久元の墓(1種ロ6号12側) 土佐藩士。楠左衛門。土佐勤王党。七卿と長州に落ちました。大正7年11月4日死去。享年86歳。伯爵。従一位。勲一等。墓所は正面に「奏山堂」と彫られた石室です。

福岡孝弟の墓(1種イ8号3側) 土佐藩士。吉田東洋門下生。新おこぜ組を結成。大正8年3月5日死去。享年85歳。子爵。従一位。勲一等。

松平定敬の墓(1種イ4号2側) 桑名藩藩主。京都所司代。京都守護職松平容保は実兄。明治41年7月21日死去。享年63歳。
染井霊園開設には、定敬の高祖、松平定信が始めた積立金も使われました。

松浦詮の墓(1種ロ4号) 肥前平戸藩藩主。明治41年4月13日病没。享年69歳。広い墓域中央の土饅頭型の墓です。

山脇十左衛門・隼太郎の墓(1種イ4号19側15番) 桑名藩士。十左衛門の長男が隼太郎。
十左衛門は明治11年8月26日死去。享年59歳。墓碑には山脅臥雲とあります。
隼太郎は明治38年5月6日死去。享年57歳。
幕末維新江戸東京史跡事典より


都営三田線巣鴨駅を降りると、国道17号を板橋(北、とげぬき地蔵)方面へ歩きます。
約250mで東側に染井霊園が見えてきます。

染井霊園の幕末関係のお墓には、藩主が多いですね。
藩邸跡に造られたということも関係しているのでしょうか。


ビジュアル版 最後の藩主 四七都道府県別の幕末維新ビジュアル版 最後の藩主 四七都道府県別の幕末維新
(2004/11/19)
監修・八幡和郎

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染井霊園
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