谷中霊園-補遺

2009年03月21日
谷中霊園(東京都台東区谷中7丁目5-24)の幕末関係のお墓を判る範囲で書いておきます。
これ以外にもあると思います。
名前だけですが、お参りの参考になればいいのですが。

秋元礼朝の墓(乙14号1側) 館林藩主。明治16年6月13日死去。享年36歳。「秋元氏之墓」に合葬。

秋元志朝の墓(乙14号1側) 館林藩主。明治9年7月26日死去。享年57歳。上野護国院に葬られましたが、大正2年に多磨霊園に改葬。昭和30年代に谷中霊園の秋元氏之墓に合葬。

阿部正桓の墓(乙9号9側) 福山藩主。大正3年9月23日死去。享年64歳。

阿部正弘の墓(寛永寺墓地) 福山藩主。老中首席。安政4年6月17日死去。享年39歳。墓碑側面に俗名が刻まれています。

新井忠雄の墓(乙3号7側) 新選組隊士。御陵衛士。赤報隊。明治24年2月15日死去。享年57歳。

池田種徳の墓(甲1号5側) 芸州藩士。浪士隊上洛時、近藤勇と先番宿割りをつとめました。。
明治7年9月12日死去。享年44歳。

石川桜所の墓(乙5号3側) 医師。一橋慶喜の侍医。明治15年2月20日死去。享年58歳。
「石川家之墓」に合葬され、墓碑側面に名前が刻まれています。


大野右仲の墓(天王寺墓地) 唐津藩士。蝦夷地へ渡航の際、新選組に入隊。明治44年6月11日死去。享年76歳。「大野氏累代之墓」に合葬され、墓碑側面に名前が刻まれています。

大橋訥庵の墓(天王寺墓地 谷中7-16) 儒者。坂下門事件の立案と斬奸状を草起草したとされ、襲撃の3日前に投獄。文久2年7月7日、病気の為出獄、12日に死亡。享年47歳。毒殺とも。

大原重徳の墓(乙6号5側) 公家。明治12年4月1日死去。享年79歳。

岡内俊太郎の墓(乙9号7側) 土佐藩士。大正4年9月20日死去。享年74歳。
合葬墓ですが、墓域には俊太郎の事跡を記した「岡内男爵家之墓誌」が建立されています。

岡本健三郎の墓(乙11号13側) 土佐藩士。坂本龍馬・中岡慎太郎が殺害される直前まで彼らと雑談をしていました。明治18年12月26日死去。享年44歳。

織田完之の墓(天王寺墓地) 三河国出身。武田耕雲斎らの筑波山挙兵では、現地に赴いています。慶応3年長州に入国しようとして捕縛、明治2年2月まで岩国藩に幽閉。
大正12年1月18日死去。享年82歳。

小山鼎吉の墓(天王寺墓地) 水戸出身。坂下門事件に関係者として捕縛。筑波山挙兵で敗れました。明治24年1月1日死去。享年65歳。

雲井龍雄の墓(甲2号4側) 米沢藩士。慶応元年に江戸警備に任につきました。会津に逃れましたが、若松城が籠城戦に突入していて、本郷村で靖共隊の永倉新八や芳賀宜道と出会い、同行して米沢藩に向かいますが、米沢藩は降伏していました。永倉らと決別して帰国、謹慎。
明治2年に放免されますが、明治3年12月28日、政府転覆を企てた嫌疑で斬罪、梟首となりました。享年27歳。
墓地には明治14年5月に建立された、人見寧の撰文による「雲井龍雄君之墓表」がありますが、墓碑はないです。

佐々木男也の墓(甲1号1側) 長州藩士。明治26年11月25日死去。享年58歳。

三条西季知の墓(乙12号1側) 公家。三条実美らと長州に落ちました。明治13年8月24日死去。享年70歳。「三条西家」の墓碑に合葬。

渋沢栄一の墓(乙11号1側) 幕臣。昭和6年11月11日死去。享年92歳。

関藤藤陰の墓(天王寺墓地) 福山藩士。藩主阿部正弘の仕えました。明治9年12月29日死去。享年70歳。

高松実村の墓(甲10号1側) 公家。明治40年10月12日死去。享年66歳。

高松凌雲の墓(乙5号2側) 幕臣。一橋家表医師となり、一橋慶喜の将軍就任にともない、幕府奥医師となりました。榎本武揚らと蝦夷へ渡り、箱館病院頭取となり、敵味方関係なく負傷兵の治療を行いました。大正5年10月12日死去。享年81歳。

伊達宗城の墓(乙8号11側) 宇和島藩主。明治25年12月20日死去。享年75歳。

玉乃世履の墓(甲区9号17側) 岩国藩士。農兵隊を組織。明治19年8月8日死去。享年62歳。

徳川慶喜の墓(徳川家墓地) 第15代将軍。大正2年11月22日死去。享年77歳。

戸田忠至の墓(乙区13号1側) 高徳藩主。宇都宮藩家老をつとめました。元治元年に山陵奉行となりました。明治16年3月30日死去。享年75歳。
新選組から分離した
伊東甲子太郎らの御陵衛士は、天皇陵警備を名目としていたので、忠至に属したことになります。

新田俊純の墓(天王寺墓地) 新田勤王党首領。明治27年3月15日死去。享年66歳。

春木義彰の墓(乙5号1側) 大和国出身。明治37年12月17日死去。享年59歳。

平山敬忠の墓(乙9号1側) 幕臣。ペリー再来航では応接を行い、日露追加条約の協議にあたりました。明治23年5月22日死去。享年76歳。

福地源一郎の墓(甲1号12側) 幕臣。号は桜痴。文久元年5月はイギリス公使館に詰めていて、東禅寺事件に遭遇しました。
明治39年1月4日死去。享年66歳。
近藤勇と面識があり、道場を訪れたこともあります。

福原芳山の墓(乙12号4側) 長州藩士。福原越後の養子。明治15年8月17日死去。享年36歳。

藤沢次謙の墓(甲13号2側) 幕臣。講武所頭取。勝海舟のもとで陸軍副総裁。
明治14年5月2日死去。享年47歳。「藤沢家之墓」に号葬され、墓碑裏面に名前があります。

古屋佐久左衛門の墓(乙2号10側) 幕臣。旧姓高松。高松凌雲の実兄です。旗本古屋家の養子になりました。
箱館戦争時の明治2年5月12日、五稜郭で被弾し、14日に37歳で死去。「古屋家之墓」に合葬され、墓誌に名前があります。

松平斉民の墓(寛永寺墓地) 津山藩主。将軍家斉の第16子。明治24年3月24日死去。享年78歳。
墓碑には「文定院殿成誉寂然確堂大居士」と刻まれています。


松平頼聡の墓(乙4号1側 非公開) 高松藩主。明治36年10月17日死去。享年70歳。

真辺戒作の墓(乙8号5側) 土佐藩士。胡蝶隊第四隊司令として、伊予松山の追討に出陣。明治12年5月20日自殺。享年32歳。

村垣範正の墓(天王寺墓地) 幕臣。咸臨丸で渡米。明治13年3月15日死去。享年68歳。

横尾東作の墓(乙4号4側) 仙台藩士。明治36年7月22日死去。享年65歳。
幕末維新江戸東京史跡事典より



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