桂太郎墓

2009年03月14日
松陰神社の隣に桂太郎墓(東京都世田谷区若林4丁目34)がありました。
桂太郎墓2  桂太郎墓1
桂太郎は、弘化4年山口県萩に生まれました。
長州藩士として幕末諸戦に参加、維新後、明治3年23歳のとき普仏戦争中のベルリンに留学、プロシヤの兵制を学びました。

山県有朋、大山巌をたすけて軍制の改革を図り、参謀本部の独立、鎮台の師団改編等を行い、明治陸軍建設に大きな役割を果たしました。
台湾総督、陸相の後、初めて組閣、明治37年、首相として日露開戦の大事を決し、挙国一致これに対処し、しかも戦争の終結を深謀、戦勝を機に、外相小村寿太郎を全権として講和条約を結ばせた功績は史上に著しい。

松陰を敬慕、自らも明治33年、台湾協会学校(現:拓殖大学)を設立し、永く校長として育英に尽しました。
大正元年末、三度組閣、辛亥革命成った隣邦の孫文を迎えて会し、日中提携と東亜の経綸を議しましたが、いくばくもなく総辞職し、同2年10月10日急逝しました。享年66歳。
遺言により、松陰霊域に接して当所に葬りました。
墓所の説明板(世田谷区教育委員会)より


東急世田谷線松陰神社前駅を北側に出ます。
そのまま北に続く道を100mほど行くと、松陰神社に着きます。
その松陰神社の横に、門の付いた細い道があります。
門の前に、「桂太郎先生墓所」とかかれた石柱が建っています。
私が訪れた時は、門が開いていたのでお参りする事ができました。

桂太郎がどういう人か知りませんでした。
この墓所を見つけたのも偶然でした。
松陰神社に行く途中に、石柱を見つけたのです。
説明を読んでみると、“長州藩士”“吉田松陰を敬慕”と書かれているので、幕末の長州人!!
というので、とりあえず(本当に、とりあえずでした)お参りして、写真を撮ったのです。

細い道を入って行くと、桂太郎のお墓だけがポツンっと建っていました。
吉田松陰を敬慕して、ここにお墓を建てて欲しいと遺言したとしても、ちょっと一人で寂しくないですか?
夜など、一人でここにいるのは寂しいと思うのですが…。
毎日、松陰達の所まで出かけているのでしょうか?

長州の人って、本当に吉田松陰を敬慕していますね。


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古川 薫

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