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豪徳寺-補遺

2009年03月13日
豪徳寺(東京都世田谷区豪徳寺2丁目24-7)には、小山戦死故彦根藩士十一人首塚碑と桜田殉難八士の碑があります。

小山戦死故彦根藩士十一人首塚碑
彦根藩井伊家は、慶応4年正月に始まった戊辰戦争では、新政府軍に加わって兵を派遣しました。
しかし4月17日、下野(栃木県)の小山で大鳥圭介らの旧幕府軍と戦闘になった時、藩士青木貞兵衛率いる一小隊が孤立して敵に包囲されてしまいました。
青木隊は奮戦しましたが、一人を残して全員が戦死しました。

国元を遠く離れた小山の地で、無念の最期を遂げた11人の霊を悼み、維新後に菩提寺の豪徳寺に慰霊碑が建立されました。
「痤首塚碑」と刻まれた碑は、山門の左手の少し小高くなっている場所にあり、ふもとには由来を記した石碑も建てられています。

桜田殉難八士の碑
豪徳寺の井伊直弼の墓のすぐ後方には、「櫻田殉難八士之碑」と刻まれた石碑が建っています。
安政7年3月3日の桜田門外の変で直弼が襲撃されたとき、護衛役として刺客と戦い、殉職した8人の家臣を追悼したものです。

8人の姓名は碑の裏面に刻まれています。
日下部三郎右衛門、河西忠左衛門、沢村軍六、小河原秀之丞、越石源次郎、永田太郎兵衛、加田九郎太、岩崎徳之進
と読めます。
碑の建立は、二十七回忌の明治19年3月です。
その頃伯爵となっていた、直弼の子の直憲によるものでした。
幕末維新江戸東京史跡事典より


東急世田谷線宮坂駅の東側、すぐのところにあります。

彦根藩は井伊直弼の桜田門外の変以降、幕末維新の中ではあまり前面に出てきませんね。
戊辰戦争で、大鳥圭介らと戦っていて、青木隊が孤立して一人のみが残ったようです。
“孤立”“一人を残して”という言葉から、会津の飯盛山での白虎隊を思い出しました。
白虎隊の悲劇と同じような事が、ここでも起こっていました。
きっと、あちらこちらであったのでしょうね。
ただ白虎隊は、少年達でしたからね。

私は井伊直弼のお墓しかお参りできなかったのですが、是非ともこちらもお参りしてください。


小山藩
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