中浜(ジョン)万次郎墓-雑司が谷霊園Ⅲ

2009年03月10日
雑司が谷霊園(東京都豊島区南池袋4丁目25)の中浜万次郎墓(1種15号19側1番)です。
中浜万次郎墓2  中浜万次郎墓1
中浜万次郎(ジョン万次郎)は、土佐国幡多郡中ノ浜村の出身の漁民。
土佐藩士。
幕臣。
天保12年に乗っていた漁船が遭難し、以後12年間、無人島やアメリカ本土での生活を余儀なくされました。
嘉永5年に土佐に帰国後は貴重な漂流体験を語り伝えました。
同年、藩士として取り立てられましたが、翌6年には幕府に招聘され、軍艦操練所教授などをつとめました。
また万延元年には、咸臨丸に通訳として乗り組み渡米しました。
その後は、元治元年に薩摩藩の開成所、慶応2年に土佐藩の開成館に招かれて教授をつとめました。

龍馬との接触は史料では確認できていません。
また龍馬の思想に与えた影響もはっきりしていません。

維新後の明治2年、新政府に出仕して開成学校の教授となりましたが、晩年は官を辞して不遇の生活を送りました。
享年72歳。
坂本龍馬大事典より


営団地下鉄有楽町線東池袋駅から南へ。
都電荒川線雑司が谷駅なら、東側一帯が雑司が谷霊園のようです。

雑司が谷霊園の最後は中浜万次郎のお墓です。
ジョン万次郎の方が名前が通っているのかもしれません。
江戸時代という時に、漂流してアメリカで生活するというのは、並大抵な精神力では生きていけないのではないでしょうか?
ひとりっきりでしょ?

古代といわれるような時代、遣隋使や遣唐使として中国方面に行った人も凄いと思いますが、アメリカは距離も違いますからね。
言葉も通じない。
国の使節団ではないので、帰れる保障も無し。
心細いという言葉では、足りないでしょうね。

そんな人のお墓が目の前にあります。
日本に帰れたんだ~。よかった、本当によかったです。
晩年は不遇の時を送ったそうですが、フランスへ視察に行っていて、病気になり帰国し亡くなったようです。
最後も日本に帰れてよかったです。

激動の人生で、心休まることはなかったような人生にも思いますが、日本の地で眠りにつけたことが一番の幸せと思っている…かもしれませんよね。


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(1994/09)
中浜 博

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