小栗上野介墓-雑司が谷霊園Ⅱ

2009年03月09日

小栗上野介墓(1種4号B5側)も雑司が谷霊園(東京都豊島区南池袋4丁目25)にあります。
小栗上野介墓
小栗上野介(忠順)は、幕府の開明派幹部。
主として財政・軍事部門を担当しました。
王政復古に際して主戦を唱えましたが、容れられず領知に帰り、官軍に逮捕され斬首されました。
豊後守。代々又一と称し、2,500石。

安政2年父の死により家を継ぎ、同4年御使番となって以来、生涯に70数度の職を転じた有能の幕士です。
同6年、目付となり、万延元年正月、日米条約批准交換使節一行の監察として渡米しました。
帰国後外国奉行となり、ロシア軍艦ポサドニック号の対馬占領事件を解決指導するため対馬に出張し、ロシア人の退去を要求しましたが成功せず、外国奉行を免職になりました。
その後、町奉行、勘定奉行、陸軍奉行、勘定奉行(再)、軍艦奉行と転任しましたが、彼は幕府財政の根本的改革に精力を最も傾けました。
内外の金銀相場の差に注目し、日本貨の品位を3倍にして国外流出を防ぎました。
外国為替法を研究しました。
勘定奉行として従来の特権であった諸大名からの贈賄を拒否しました。
伝統的儀式の簡略をはかり冗費を節約しました。
外国人との取引を平等にするために、商社を設立して資本力を高めることを幕府に建議しました。
信用経済の近代的運用、公債発行と債却方法の検討、幕臣の給与表を作成し予算原則を導入するなど、幕府財政の近代的改革に努力しました。

また徳川家による絶対主義政権構想を最も早く唱えた人物であり、その実現のためにまず軍備の充実をはかりました。
フランス人技師ウェルニーと契約、相模の横須賀に製鉄所、ドック、造船所、武器庫を備えた一大軍需施設の建設にとりかかりました。
フランスのツーロン軍港をモデルとするこの計画は完成には至りませんでしたが、明治政府に接収され日清戦争で強大な海軍力を用意する事ができました。
小栗はこれが、他の面における経費節約を強制するための口実になるという波及効果も考えていました。
また陸軍の兵制をフランス式に切り替え、フランスから軍事教官を招いて歩兵を編成しました。
この関係で、フランスと幕府の接近が深いものになりました。

絶対主義政権樹立による郡県制移行の為に小栗がとった第2の策は、反幕勢力を徹底的に叩くことでした。
元治元年幕府は長州に対する第2回目の征討軍を発することになりますが、これを最も強く主張したのが小栗でした。
第1回の征長で幕府は名目を保ったのですが、小栗の構想では、長州は実質的に敗北させられねばならなかったのです。
彼の構想が全面的に幕府に採用されることに至らず、また軍事力に乏しいことがわかっていたので、フランスの軍事協力を求めることさえ唱えましたが、これは勝海舟の反対もあって中止となり、幕府は惨敗を喫しました。

慶喜の大政奉還に対しては真っ向から反対を唱え、江戸の薩摩屋敷攻撃を主張してこれを実現、鳥羽・伏見の開戦の諸をつくりました。
のちに大村益次郎をして驚嘆させるほどの徳川必勝戦略を作成していましたが、慶喜が謝罪恭順と決したため、慶応4年2月末、領地の上州群馬郡権田村に帰農しました。
ここで農兵編制を行いましたが、4月、東山道鎮撫軍に無抵抗降伏し、養子又一および6人の臣とともに烏川の河原で斬首となりました。

権田村東禅寺にも墓があります。
横須賀公園に碑があります。
幕末維新人名事典より


営団地下鉄有楽町線東池袋駅から南へ。
都電荒川線雑司が谷駅なら、東側一帯が雑司が谷霊園のようです。

雑司が谷霊園の次の目的のお墓は、小栗上野介でした。
小栗上野介のイメージは、頭の切れる人です。
それよりも、当時、一大ブームを巻き起こしていた“徳川埋蔵金”の重要人物としてのイメージでした。
この人が埋蔵金を、赤城山周辺に埋めたとされています。
小栗上野介の埋めたという埋蔵金は、赤城山だけではなく、あと数箇所あるようです。

埋蔵金伝説は各地にあるようですね。
私の家の近くにも、豊臣秀吉の4億5,000万両の埋蔵金伝説があります。
長年探している人もおられるようです。
4億5,000万両って、現在の貨幣価値ではいくらぐらいなのでしょう?

埋蔵金が本当にあるかといことは別にしても、埋蔵金ってロマンですよね。
私が探し当てることは、ゼロですから、せめて誰かが探し当てたというニュースを聞いてみたいです。
ぜひお願いします。

小栗上野介の墓は、故郷にもあるようです。
きっと故郷の方が、ゆっくりと休めているでしょう。
もしかしたら、埋蔵金が掘り当てられないように、監視しているのかもしれませんね。

斬首されたのが、養子又一と6人の臣も一緒というのが、悲しみを倍増させます。
養子に迎えなければ、又一は死なずにすんだかもしれません。
6人の臣というのも、斬首に値するような事をおこしたのでしょうか。
それより以前に、小栗上野介自身も斬首されないといけなかったのか?

慶応4年にもなって、斬首された人っていないのでは?
戦闘で亡くなった人は、数えられない程いますが…。
と思ったら、そうだ!近藤勇がいました。
幕府の中心にいた人はほとんど、維新後に赦されているようなので、小栗上野介だけ何故?と思ったのです。
近藤勇は幕臣に取り立てられたといっても、純粋な幕臣とは少し違いますからね。

小栗さん、埋蔵金は本当にあるのですか?
(あったとしたら)どこに埋めたのですか?
私にこっそり教えて下さい。


謎解き紀行 徳川埋蔵金 「かごめの歌」に隠された秘密 上謎解き紀行 徳川埋蔵金 「かごめの歌」に隠された秘密 上
(2007/10/25)
山中廣稔

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日本の埋蔵金
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