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黒田如水邸跡

2009年03月06日
幕末維新とは時代が違いますが、史跡巡り中に偶然前を通ったのが、黒田如水邸跡(京都府京都市猪熊通一条通西)です。
黒田如水邸跡183
黒田孝高(如水)は戦国時代、安土桃山時代、江戸時代前期にかけての武将・大名です。
豊前国中津城主。
孝高は諱で通称の「官兵衛」並びに出家後の「如水」の号で有名です。
豊臣秀吉の側近として仕え、「ドン・シメオン」という洗礼名を持つキリシタン大名でもありました。

孝高は頭部に醜い瘡があったと言われる。これは有岡城(兵庫県伊丹市)にて投獄されていたときに患ったものと思われます。

孝高が長政に家督を譲って隠居したのは44歳のときですが、働き盛りの年齢で隠居したのは秀吉に恐れられていることを知って身の安全を図ったためと言われています。

文禄4年の伏見の大地震の際、倒壊した伏見城に駆けつけましたが、秀吉は同じ蟄居中の加藤清正には賞賛したが、如水に対しては「俺が死ななくて残念であったであろう」と厳しい言葉をかけたと言われています。

晩年は家臣に対して冷たく振舞ったとされています。
これは殉死者を出さないためとも、当主の長政に家臣団の忠誠を向けさせるためとも言われています。

子供は、筑前国福岡藩の初代藩主となった黒田長政です。
Wikipediaより


京都市営地下鉄烏丸線今出川駅を出て、今出川通を西へ850m程の西陣産業会館を通り越します。
その次の黒門通を南へ曲がり、一条通まで歩きます。
一条通で東に入ったあたりにあります。
晴明神社の南にあります。

この付近をウロウロと歩いていた時に、偶然碑を見つけました。
「黒田如水?」
「………聞いた事があるような、無いような……?」
とりあえず写真を撮っておこう!と、写真を撮っておきました。

一番苦手とする戦国時代の人でした。
苦手というのは、その時代やその時代の人が嫌いというのではありません。
人間関係も複雑で、いろいろな「○○の戦い」がありすぎて覚えられないのです。
歴史はどの時代も好きなので、どんな史跡でも出会えればとても嬉しいです。
弥生時代や古墳時代でもOK!

但し、明治初期以降~現代は嫌いですね。
生々し過ぎて、想像の余地が少ないからかもしれませんが、興味も湧いてこないです。

幕末維新史跡巡りをしていて、近くを通るのなら、何もない道より史跡のある道を歩いてみてはいかがですか?


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兵庫県伊丹市 有岡城
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黒田長政
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