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東本願寺伏見別院

2009年03月04日
会津藩の宿所となった、東本願寺伏見別院(京都府京都市伏見区大阪町)です。
東伏見別院
慶応4年正月2日夜10時過ぎ、薩藩淵辺直右衛門ほか6名は、知らせにより伏見別院に来てみると、堂内は会津兵で一杯でした。
会津の重役林権助に問い質すと、上洛する慶喜公の先供であると答えました。
淵辺は林に暫く留まり、勅命を待つようにと伝えました。
翌3日も通す通さないのあげく、戦いの火蓋は切られました。

東本願寺伏見別院は慶長7年の創建で、蓮池御坊とも呼ばれます。
維新の時、会津藩の宿所となり、付近は戦場となりましたが、戦火は免れました。


林権助は、会津藩士。名は安定。
武勇で知られ、水野忠邦が老中を免職されたとき、水野邸に暴徒が押しかけたのを一人で鎮めて、江戸でも名をあげました。
会津藩の軍制改革は保守的思想に妨げられ遅れましたが、権助は率先して洋式兵法を学び改革を進めました。

京都守護職になった藩主松平容保に随行上京。
王政復古後、徳川慶喜が二条城から大坂城へ移るのを知ると、佐川官兵衛と2人で慶喜に大坂移動の反対を言上しました。
慶応4年鳥羽・伏見の戦いで会津藩砲兵隊長として陣頭に立ち、膝に敵の弾丸をうけ大坂から江戸に帰る船上で死にました。
写真でみる維新の京都より

京阪電鉄伏見桃山駅の北側、近畿日本鉄道桃山御陵前駅南側の大手筋を西へ200mほど歩きます。
スーパーのサティがあるので、その門で南に曲がります。
サティの前を通ることになりますね。
サティの斜め前、微妙に突き当たりになっている角が、東本願寺伏見別院です。

最初に訪れた時、門はありますが本堂はどれ?でした。
幼稚園があるのですが、本堂が見当たらない…。
でもお寺には間違いがない…。
本当にここで間違いがないのか不安でした。

暫くして再び訪れた時は、プレハブにご本尊が祀られていたような…。
本堂の改修工事をされていたのかな。
今はどうなっているでしょう。

会津藩の宿所となった場所といので、張り切っていきました。
会津藩と新選組は切っても切れない縁ですからね。
もしかしたら新選組の誰かは、伝令として走っているかもしれません。
土方歳三も来た可能性は…どうでしょうね。
それでも鳥羽伏見の舞台ですから、しっかりチェックはしておきました。


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