黒谷墓地-赤松小三郎

2008年04月11日
赤松小三郎(あかまつこさぶろう) 1831-1867
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洋式兵学者。
信州上田藩士芦田勘兵衛の二男。のち赤松家を継ぎました。
藩校明倫堂に学んだが、江戸に出て、
内田弥太郎、佐久間象山らに蘭学、西洋砲術を学び、勝海舟に学びました。
海舟が長崎の海軍伝習所に赴任するとき従者として随い、伝習所でさらに西洋兵学と軍事技術を学びました。
帰藩して藩の助教・操練長を兼ね、またイギリス式歩兵制を進言しましたが、採用されませんでした。
結局藩を出て、京都で私塾宇宙堂を開きました。
諸藩から招聘をうけ、薩摩藩にいましたが、公武合体論者であったため、帰藩の準備中京都で薩摩藩士に暗殺されました。   幕末維新人名事典より

金戒光明寺の山門横の道を、東(右側)に進みます。
しばらく行くと、左側に会津本陣となった清和殿(別記、写真を載せます)が見えてきます。
清和殿を左に見ながら直進、池を渡ると長い階段が目の前に現れます。
その階段を半分ほど登ると、左に曲がる道があります。
(お墓の中の細い道ではなく、本道です)
北(左)に曲がり、少し進むと、左側に赤松小三郎のお墓があります。

石段が大変ですが、頑張って登ってください。
京都の風景が眼下に見えてきます。
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