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薩摩伏見邸跡

2009年03月01日
江戸時代を通じて、薩摩伏見藩邸(京都府京都市伏見区東堺町、下板橋西詰)があった場所です。
伏見薩摩藩邸跡
慶応2年1月23日夜、留守居役大山彦八のもとへ寺田屋からお龍が、龍馬の危機を報じて来ました。
そこへ三吉慎蔵も逃れてきたので、大山は急ぎ船を仕立てて薩摩藩旗を立て龍馬の潜伏する木材小屋へと駆けつけました。
西郷は一小隊の兵士と医師を派遣、龍馬は29日まで伏見邸にいて、月末に薩摩兵の警護の中、二本松邸に移りました。
お龍も同行し、以後、2人は一緒に鹿児島への新婚旅行へ向かうことになりました。

慶応3年12月25日、伏見方面の取締巡邏の命を受けた薩藩は、総督島津式部、参謀吉井友美、中原猶介、隊長鈴木五郎等の指揮で、藩邸に本部を置き、御香宮等に駐屯しました。

翌4年正月3日夕方、白井五郎太夫の率いる会津藩大砲隊は京橋から伏見へ入りましたが、行手にいた土佐藩兵は抗することなく、別路を示したので迂回し、漸く曳いていった一門の砲で、空巣となっていた薩摩藩邸を焼討ちしました。
写真でみる維新の京都&坂本龍馬大事典より


京阪電鉄、近畿日本鉄道丹波橋駅の南側の道を西へ向かいます。
尾張伏見邸跡の板橋小学校の前を通りすぎて、橋を渡った突き当たりが薩摩伏見藩邸跡の松山酒造になります。
酒造会社になっており、こちらも碑はありません。

寺田屋で危機に遭遇した龍馬が、匿われたのがここです。
この橋のかかる川を船を使い、龍馬を救出に行ったようです。
お龍が裸で浴室から飛び出し、龍馬に伝えに階段を上がった話はエピソードとして必ず語られます。
その後の舞台です。
が、何も残ってはいません。
残っているのは、川ぐらいです。

薩摩伏見藩邸など、この辺りの史跡巡りは難しいです。
京都の中心部のように、通り×通りで表記できません。
地図をみても町名が載っているものが少なく、また道も綺麗な碁盤状ではありません。
慣れないので、伏見は苦労しました。


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Comment
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Re: No title
ありがとうございます。

行かなくては!!

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