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伏見奉行所跡

2009年02月28日
新選組が屯所とした、伏見奉行所跡(京都府京都市伏見区東奉行町 市営桃陵団地)です。
伏見奉行所跡2  伏見奉行所跡
慶長5年に創設の伏見奉行所も、実際は寛文6年に水野石見守忠貞が初めて伏見支配に専念する奉行となりました。
伏見奉行所には、与力10騎・同心50人が属して、伏見市街と周辺9ヶ所の支配をしました。
安政6年に奉行に就任した林肥後守忠交(上総請西藩主)が慶応3年5月病没した後、幕府は後任者を任命せず、慶応3年11月20日伏見奉行所は廃止し、京都町奉行に業務を兼帯させました。

慶応3年12月9日の政変後、永井尚志に従って大坂に下っていた近藤勇と新選組は、下坂二日後に伏見警備を命じられ、元奉行所屋敷へ入り屯所にしました。
翌年正月3日夜、鳥羽伏見開戦の日、伏見口で新選組は繰り返し薩軍陣地へ斬り込みをかけましたが、装備に勝る敵の防御線を突破できず、薩軍の砲撃により奉行所は戦火で灰燼に帰しました。
新選組も会津もその他の友軍とともに伏見を放棄して後退しました。
写真でみる維新の京都&新選組大事典より


御香宮の前を通る、国道24号を400m南に進むと、桃陵団地前のバス停があります。
バス停の東側に団地が並んでいます。
団地のどこに写真の碑があったかの詳細を覚えていません。
団地の入口付近を歩いていると、すぐに見つけることが出来たのです。

ここはまさに新選組が足を踏み入れた場所です。
近藤勇や沖田総司は怪我や病気でしたが、土方歳三は指揮をとりながら奉行所を宿所にして戦っています。
この地に土方歳三がいたんだ~。
同じ地に立って、同じ空気を吸っています。
しかし、見る風景も吸う空気の汚れ具合も違います。
奉行所の一部でも残っていたのなら、もう少し想像しやすいのですが、灰になってしまったらどうしようもありませんね。


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