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御香宮

2009年02月27日
慶長10年家康の再建に成り、伏見城の遺構を多く残す御香宮(京都府京都市伏見区御香宮門前町)です。
御香宮
慶応4年正月、伏見方面守備の主力薩摩藩は、司令島津式部麾下の将兵800名が、御香宮を中心に東方龍雲寺方面を固めていました。
長州兵125名は、その他の寺院に駐屯していました。

これに対して、正月2日から3日にかけて、伏見方面に詰めかけた幕府の先鋒は3,000名に及びました。
竹中丹後守を長とする会津藩の主力は、新選組150名と浜田の兵を加えて約1,500名が、伏見奉行所や寺々に入って、西軍に対峙しました。

伏見では西軍は御香宮を、東軍は奉行所を拠点として戦いが始まりました。
新選組の土方以下の活躍もむなしく、刀槍に頼り、火力において劣る東軍は、竜雲寺高地からの砲撃に圧倒され、奉行所は火を発しました。
敗色濃い東軍は、火災の延焼とともに日没ごろに退却し始めました。

御香宮には『戊辰戦之役東軍伏見鳥羽淀八幡ニ於テ戦死及殉難者人名簿』があり、新選組の戦死者24名の名も載っています。
写真でみる維新の京都&新選組大事典より


京阪電鉄伏見桃山駅、近畿日本鉄道京都線桃山御陵前駅の東側に位置します。
京阪桃山駅からだと、100m東に近鉄桃山御陵前駅があるので、近鉄を越えます。
近鉄桃山御陵前駅の隣が御香宮の西側にあたります。
JR奈良線桃山駅を利用した場合は、西側になります。
桃山駅の北側の通りを西に200mで御香宮です。

私はなぜか、御香宮に明るいイメージがありません。
訪れるのが曇りの日が多いからか、新選組敗走のイメージがあるからでしょうか。
去年訪れた時は、お宮参りの家族が数組来られていました。
慶事で賑やかでした。
境内には“伏見名水”として名高い、“御香水”が涌いています。
なのに、明るいイメージがないのですよね…。
別にだからどうこうという訳ではないのです。
薩摩ファンの人なら、なんて清々しい場所だ!と思うかもしれません。

伏見戦跡の碑がありましたが、大抵碑の前には車が止められています。
この写真を撮る時もそうでした。
それがとても残念です。

土方歳三はこの地を、憎々しく思いながら戦ったのだと思います。
探索方は御香宮を偵察に来たかもしれません。
薩摩藩士で殺気立っていたのでしょう。
新選組も伏見奉行所跡で、同じように士気が高まっていたとは思います。


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