黒谷墓地-北垣国道

2008年04月10日
北垣国道(きたがきくにみち) 1836-1916
kitagakihaka893.jpg
但馬の志士。養父郡能座村(兵庫県)の豪農の家に生まれました。
農兵を組織して日本海の海防に備えるなど、急進的な尊攘論を持っていました。
同郷の富農中島太郎兵衛、僧侶本多素行らと計画をすすめ、文久3年には上京して山岡鉄舟、清河八郎らに相談しました。
さらに幕府から農兵募集の許可を得るために、真木和泉、久坂玄瑞に会って朝廷に働きかけたが、果たせませんでした。
だが農兵組織の勅許を入手、農兵募集の計画に着手、平野国臣らも参加して、大和の天誅組挙兵に呼応して但馬に兵を挙げることに決定しました。
長州三田尻にある沢宣嘉を迎えるため西に下りました。長州藩は反対しましたが、奇兵隊が相当数賛同して脱藩、主戦論が勝って生野代官所を占拠しました。
しかし、近辺に諸藩の兵が迫ると分裂し、沢は脱出し国道らは偽浪士として農兵に襲われ、同志の殆どが殺されました。彼はどうにか鳥取に逃れました。
維新後鳥取藩に属して戊辰戦争に参加しました。
明治14年、京都府知事に就任し、琵琶湖疏水事業を完成しました。
のち内務次官、北海道庁長官などを歴任、貴族院議員、枢密顧問官となり、男爵を授けられました。
幕末維新人名事典より

千種父子のお墓の近くです。
納骨堂の横を通り突き当たりを右に曲がります。
そこから右奥に千種父子のお墓がありましたが、曲がらずに直進します。
その突き当たり付近にあります。
関連記事
Comment
曽祖父北垣国道の墓所
曽祖父の墓所を紹介して頂き、ありがとうございました。 私の実家が黒谷(金戒光明寺)の隣の真如堂(真正極楽寺)の正面にあり、京都へ戻る際は黒谷を訪問します。黒谷は徳川幕府と縁の深い寺であり、伏見鳥羽街道の戦いで戦死した会津藩士の集合墓地があります。ここに倒幕戦争に加わった北垣国道の墓があることが興味深いと思っています。
Re: 曽祖父北垣国道の墓所
お返事が遅くなり申し訳ございません。

史跡を巡っていると、敵同士が同じ墓地にあったりと、驚くような事がありますね。
私は霊を信じているという事ではないのですが、ある霊能者の人は、新選組の内部で粛清された人と、粛清を命じた人が同じ場所に祀られているので(慰霊碑)、殺された人たちは成仏できずにいるというような事を言っていました。

実際のところはどうなのでしょうね。
黒谷さんには、色々な方が眠ってられるので、あちらの世界では色々とあるのでしょうかね。

管理者のみに表示