高龍寺-傷心惨目の碑-

2008年02月11日

コースとしては、上手くまわれていませんが、称名寺の方に戻ります。
称名寺の西隣に高龍寺・箱館病院分院跡(函館市船見町21蕃11号)が建っています。
弁天町2の辺りにあったのが、明治12年に現在地に移転してきています。
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                        傷心惨目の碑
明治2年5月11日午後3時ごろ、新政府軍(津軽・松前藩兵)が箱館病院分院(高龍寺)に現れた。
入院していた傷病兵ら十数名を惨殺し、寺に放火したといわれている。
しかし怯えた傷病兵が発砲し、放火も弁天台場に篭る旧幕兵による「脱走火事」(戦略)の類焼ではないかとの説がある。
明治13年この事件で亡くなった兵士達のため、旧会津藩関係者により「傷心惨目の碑」が建てられている。
桑名藩出身の新選組隊士、佐治寛が埋葬されている。
(新選組史跡事典&箱館戦争写真集を参考にさせて頂きました)

傷心惨目の碑が建っているの場所が、少し寂しく感じました。
高龍寺に来たあたりで、雨が一段と強くなってきました。
写真を撮ったのですが、多くがピンボケになってしまいました。
やはりここも、大雨のせいか誰も訪れる人がいませんでした。

次はこの周辺のその他の史跡の紹介か、「山上大神宮」かに向かいます。

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