松林寺(安寺)

2009年02月13日
松林寺(京都府京都市上京区新出水通智恵光院西入ル 安寺)です。
見廻組屯所跡2  見廻組屯所跡1

JR山陰本線か京都市営地下鉄東西線二条駅から、千本通を北へ1.1㎞と少し歩きます。
下立売通で東に曲がり、さらに300m歩いたところに松林寺がありました。

私は見廻組屯所跡だと思って、訪れました。
“屯所”というのは間違いなのかもしれないです。

大正4年、元見廻組渡辺一郎(篤)の遺書「摘書」
(日時)11月15日、黄昏より打入る
(同行者)佐々木只三郎、渡辺一郎、今井信郎、某、某、世良敏郎
(状況)警戒表入口1人、戸ノ内1人、2階上り口1人。平頭、太り、背高き従僕に偽名を差し出し、共に2階へ上り、直ちに正面に坐し居る坂本に切り付け、竜馬後ろの床にある刀を取らんとせしも取り得ず倒る。正面の竜馬へ切り付け、横に倒れた所を突っ込み、左右両名の者同時に討ち果たす。1名が中岡なること後に聞く。従僕も相たおれ。1人命を助かりし者、是は13、4歳位の給仕、右の動作に驚き、自分の前の机の下に頭を突っこみ平伏し居る子供は其の儘見遁す。なかばに、行灯は消え、合言葉を決めておいたが、同士討ちをしかねなかった。刀の鞘を忘れて帰ったのは、世良敏郎という本は読むが武芸の余りない男。帰り路も呼吸が乱れ、歩く事も出来ないので、拙者が世良の腕に肩をかけ、鞘の無い刀を拙者の袴の中へたてに入れて、保護して連れ帰った。夜に入って木戸口も閉るので、木戸の閉まらない道路を通り、
安寺(松林寺)へ帰った。
幕末維新京都史跡事典より


上記の記述を見て、少林寺が屯所だと思ってしまいました。
しかし、見廻組屯所跡があり、そこはビルが建ち並ぶ場所でした。
ということは、ここは屯所では無いということですね。
ここは二条城に比較的近いので、屯所であってもおかしくはないと思います。
ただ少し手狭かもしれません。

新選組が池田屋に向かう前に“祗園石段下の会所”に集まっていましたが、そんな場所だったのかもしれません。
たぶん見廻組が来たのは間違いないとは思います。

では見廻組の屯所はどこにあったのでしょう。
見廻組屯所について書かれたものって何があるのかな?


京都見廻組京都見廻組
(2003/11)
黒鉄 ヒロシ

商品詳細を見る


幕末維新三百藩諸隊始末 (別冊歴史読本 (36号))幕末維新三百藩諸隊始末 (別冊歴史読本 (36号))
(1999/12)
不明

商品詳細を見る
関連記事
Comment

管理者のみに表示