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中沼了三講書の跡

2009年02月07日
中沼了三講書の跡(京都府京都市中京区烏丸通竹屋町下ル東側)というのがあります。
中村了三講書の跡
中沼了三は隠岐の出身の儒学者で、天保6年京へ出て学びました。
師鈴木恕平(遺音)亡き後、京都新聞社ビルの付近に学舎を開きました。

勤王家として、大義名分と皇室の尊厳とを教えました。
門下に西郷従道・川村純義・桐野利秋・中岡慎太郎らがいました。
学習院発足の際は教授になり、十津川郷士の指導もしました。
維新の後、新政府軍の参謀、天皇の侍講、昌平黌の教授などを勤めましたが、上層部と合わず官を辞しました。
写真でみる維新の京都より


京都市営地下鉄烏丸線丸太町駅を上ったところに、京都新聞社があります。
御所にも近く、賑やかな場所です。
特に碑はありません。
京都新聞社付近ですので、あくまでも目印です。

中沼了三という人物は、初耳でした。
門下生の西郷従道(西郷隆盛の弟)、桐野利秋(中村半次郎)、中岡慎太郎の名前にひかれて、訪れました。
門下生というのですから、ここに通ってきていたのでしょう。
中村半次郎が、中岡慎太郎がここを歩いたのかぁ~。と思いながら、烏丸通の一本東の車屋町通-京都新聞社の裏-から写真を撮りました。

西郷従道・川村純義・桐野利秋は薩摩藩士ですが、中岡慎太郎は土佐藩士です。
ここで顔を合わせた事もあったかもしれません。
そんな場合は、藩をこえて議論したり意見交換をしたりしたのでしょうか?
基本的に私塾に入門ですから、考え方はほぼ同じでしょうが、藩としての対立があったとしても、こういう先生の塾は、あくまでも中立地帯なのでしょうね。


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(2002/01/30)
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